emily

忘れられた人々のemilyのレビュー・感想・評価

忘れられた人々(1950年製作の映画)
4.5
メキシコシティの闇の部分には子供達が悪に染まり、善悪の区別や人の痛みがわからなくなっていた。リーダ格のハイボを中心に盲目の男を襲撃、そうして感化院に送られたのはフリアンのせいだと思い、彼の友人であるまだ悪に染まり切ってないペドロにフリアンを呼び出させ、その場に立ち会わせる。足のない男の襲撃や、自分たちより弱い立場の者を襲撃。ペドロはある夢を見てなんとか自分の人生を立て直そうとするが、無実の罪を着せられる。

冒頭から大都会の少年たちの非行の現実を語り、それを冷酷な目で淡々と綴る旨を宣言する監督。メキシコシティのスラム街の少年たちの生きざまを冷静にドキュメンタリータッチで白黒の荒い映像にどくどくしく溶け込む。盲目の男が音楽を奏でながら物乞いをしている。その映像を見て、今のメキシコシティにも変わりがないことを感じさせる。メキシコでは地下鉄や道で暮らしている人たちが今もなおたくさんおり、その中には子供達も見受けられる。教育も愛も知らず、ただ生きるために、食べるために道に立つ人達は今もなお健在である。

登場人物も多く、会話のやり取り、言葉の節々に狭い世界観、低俗な言葉の羅列で、独特のスピード感が物語を引っ張み、妄想などが挿入されることで、さらに奥行を見せる。印象的なシーンも多く、盲目の男が鳩を使って病気の人の痛みの気を吸い取るシーンや、ペドロの夢のシーンのスローモーションを多用した映像や肉の塊の象徴、ペドロが残虐に何の躊躇もなく鳩をぶった切るシーンや、撮影カメラに向かって卵を投げるシーン。映画でありながら、そこには彼の心の葛藤のリアルが浮き彫りになっている。

底辺の少年達はそこから抜け出すことができず、なんとかその現状でもがいている。生きていくためにそれぞれが必至なのである。親の愛を知らず育った彼らは愛を知らない。すなわち人の痛みがわからない。だから誰かを傷つけ、命を奪ってもその重さを自覚することが出来ないのだろう。底辺の中にもリーダーが必ずいて、社会の縮図が出来上がっている。ペドロや父親を捜してる少年はそれでも親が居て、なんとか今の状況を変えたいともがいているのだ。

そんな子供たちも一つの悪の括りとしてしか認識されず、抜け出すことができない刹那。大人もまた本質を見ようとせずうわべしか見ていないのだ。誰もが自分に危害が及ぶのを恐れ、彼らの存在自体を認めようとしない。

そんな大人に育てられ、また子供が親になり循環していく無限ループを感じさせる。ほんのかすかな光も大人達により無意識にも無残に壊されていく。悪を善と教えられ、その中で生きていく少年少女。希望を持つこと自体が絶望で、その先には明かりなどないことを、そうして逃れられない現実であがいて人生を終えていった人々の人生。

ただ求めたのは母親に愛されたいという事。ただそれだけなのだ・・二人の少年の夢や幻想にみる母の映像。ちゃんと清い心をもっている。社会が変わりそれによって歪められた悪を払拭できる時代への希望を切に感じさせるが、そのメッセージは今の時代でも心を揺さぶり、ストレートに伝わる。60年以上の時が流れても、今もなお変わらない社会が続いてること。そうしてそれが日常の一コマとなり、誰もが見て見ぬふりをしていることを。いつでも善悪を教えるのは大人であり、息苦しい世界であれど悪は善になることはあってはならないこと。大人になった自分がいまできることを改めて考えさせられる。
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