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デスプルーフ in グラインドハウスのAKALIVEのレビュー・感想・評価

4.5
大学生の頃、YouTubeに転がっていたこの映画のカー・チェイスのシーンを観て、何だこの映画は‼️⁉️と何度も何度も英語の台詞の意味も解らないまま観て、ぶっとんだぜ‼️と友だちに連絡(爆笑)。最終的にDouble featureの喜びを現代に甦らせた2007年の『Grindhouse』(6枚組)(特典ディスク込み)をAmazonでポチッとしてしまった、という。

それぐらい大好きな映画を今回俯瞰的にレビュー出来る、という機会に恵まれた。

まずは今日何本かレビューを書いた。そこに詳しく記している「男性の中の女性性」というテーマ と アーティストとオーディエンスとジャーナリストの三位一体のせめぎ合いについて、読んで頂けると嬉しいです。

そこからこう思ったんです。
この映画も相対化出来る!と。
いつ観ても最高なのでいつの間にかすっかり「絶対視」していたのです。

まず観ていて気になったのは、やはりThe City of Austin, Texasでの惨劇のシーン。どうしちゃったのQuentin Tarantinoと思うようなシーンだった。町山智浩さんは「レザボア・ドッグス? 知らなーい、と女の子に馬鹿にされたんじゃないか、それで映画の中で復讐している」と言っていたが。

もう1つ気になったのが、LEBANON, TENNESSEEでの女の子たちを執拗に追い掛けるカー・チェイスの前半パート。
Zoë BellへのStuntman Mike McKayの「ヴァイオレンス」にどギツさを感じた。

今日色々書いてきて「男性性」にうんざりしていたのが原因だ。

そしてもう1つ。NirvanaのKurt Cobainが死んでしまい、Beckが『Odelay』(1996) https://open.spotify.com/album/3PpTsdpZmaLUh6RvViu9G7?si=lAasKDZ5QBKIK5nVesh0lw で、Grungeの西洋的な死のモチーフに対して、ブラジル音楽の祝祭的な感覚から"輪廻転生"というテーマに向き合っていたし、The WhoやRadioheadが、かれらの投げるボールに対するオーディエンスの動向をよ〜く観ていたという 風に、アーティストの方に批評精神があったことは感動的です。ポップ・ミュージック史においてThe Beatlesと並んで、この3組の歴史は、自分にとって大きな出来事です。
な ん で す が、本作におけるQuentin Tarantinoのどうかしてる感は、良いように受け取れば、Political Correctness(「ポリティカル・コレクトネス」つまり「政治的妥当性」「政治的な正しさ」)なんか知るか、というアーティストの表現の自由だし、悪いように受け取れば、批評精神ないなあ、ってなる。

でも批評精神なくても、その後の彼への称讃は皆さんもご存知でしょう、彼は正しかったのか、間違っていたのか、ただしQuentin Tarantinoが証明したのは、正しくたって、間違っていたっていい、という、ほとんど愚かさと同義のひたむきさだ。自分の信じることをやり切ることでしか開かないドアもある。

George Harrisonの「Love Comes to Everyone」(1979)の歌い出し ~Go do it
Got to go through that door
There's no easy way out at all
Still it only takes time
'Til love comes to everyone

頑張れ
そのドアを通って行かなければならない
抜け道はない
すべての人々に愛が降り注ぐまでは
まだもう少しだけ時間がかかるんだから~

https://open.spotify.com/track/1dYimSgEq46lJ30MKQP9l6?si=O9oPma6SSpWEVgwWl-J6vA

これを少しだけ思い出した。
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