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エリ・エリ・レマ・サバクタニのshishiraizouのレビュー・感想・評価

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青山真治追悼その2
自ブログより転載 2007.4.24

爆音ナイト『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』@吉祥寺バウスシアター、1年ぶりの再観賞

○上映前、一本だけ予告編が流れる。AJ・シュナック監督の『カート・コバーン アバウト・ザ・サン』。94年に自殺したニルヴァーナのカート・コバーンについてのドキュメンタリー。奇妙な符合、必然?青山真治の劇場映画デビュー作『Helpless』(96)で主人公にニルヴァーナのTシャツを着せて、当時のパンフレットに〈ニルヴァーナ〉なる短文を寄せた青山真治の、10年目の到達点『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』の爆音上映前にカート・コバーンの声が流れた。また、去年の『エリ・エリ~』公開時期が、ニルヴァーナのカート・コバーン最期の二日間を描くフィクション『ラストデイズ』(ガス・ヴァン・サント監督)とカブるという偶然もあった。
〈何に興味あるかと言うと、いわば半死半生の世界である。例えばニール・ヤング。そのギターの音が太くでかくなるばなるほど生の実感を離れていく不思議。(略)奇妙な偶然(略)、カート・コバーンがニール・ヤング狂であり、その遺書にニール・ヤングの詞を引用していたということ。〉(『〈ニルヴァーナ〉』、青山真治)
(「It's bettbr to burn out than to fade away」、衰えて消えてゆくよりも、今燃え尽きるほうがいい)

○探偵・戸田昌宏(このひとが出てると、何だか不穏なモノが漂う)の爪に、キャラクターにそぐわない、白いマニキュアが光る。小津安二郎『秋日和』における原節子の、〈パール入りとも銀入りとも見えるネイル・エナメル〉の光りかたの〈異様さ〉の引用でしょうか。
『秋日和』の物語は、言ってみれば複数の中年男がひとりの若い女性を人生の軌道にのせようとする話。そう考えれば『エリ・エリ~』との繋がりも、ナクハナイと、こじつけレナクモナイ。クライマックスの草原でのライブ場面も、ピクニックだと言えば言えなくもないし、終盤、筒井康隆と戸田が車を走らせながら共に歌を口ずさむのもピクニック的だし‥?

(追記:1983年にフィルムセンターで小津の全作品回顧上映があり、黒沢清ら立教の先輩たちはその熱風にさらされる。84年に福岡から上京してきた青山はその熱気には間に合わず、大塚名画座でみた『秋日和』『彼岸花』の二本立てが初の小津体験だった)

○『レイクサイド マーダーケース』で「女もイケる(描ける)」と示した青山真治でしたが、『エリ・エリ~』での描写は母性としての女、娼婦としての女、そして少女、という露骨に分離した概念的な抽象化に後退。ヤッパリ苦手なんじゃないか‥?シネスコ画面を縦に倒して撮影された、横たわる女(〈娼婦としての女〉)をナメるドリーショット、結果、大きなスクリーン画面に現れるのは、横長に切り取られた巨大な女体の部分のアップ。カメラがゆっくりとナメて上昇しつづけ、巨大な女体が長めのワンショットでようやく全貌をあらわす。そこに感じられるのは、女性への恐怖心というか畏怖というか、インポテンツ的なもの‥
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