ずどこんちょ

マイライフ・アズ・ア・ドッグのずどこんちょのレビュー・感想・評価

3.5
スウェーデンの名作映画です。1950年代を舞台にした作品ですが、時代を感じさせないドラマ性があります。

少年イングマルの母は結核を患っており、家の中でもよく苦しそうに咳き込んでいました。イングマルはそれでも愛犬と母のことを愛しており、よく母を喜ばせようと明るく振る舞います。
しかし、決して優等生ではないイングマルの努力は空回りし、イタズラ好きの兄に巻き込まれていつも余計な手間を増やしてしまいます。その結果、元々病気のことで神経質になっている母のストレスは溜まるばかり。お父さんは今はこの家にはいません。遠く外国で仕事についています。
イングマルは本当はお母さんに笑っていて欲しいだけなのに、お母さんは怒鳴ってばかりになってしまうのです。そんな母の怒鳴り声から耳を塞いで聞きたくないイングマルと、怒鳴り散らす日々に疲弊して泣き出す母。
イングマルが学校でも悪戯坊主なのは、そういう日々のストレスが影響しているのだろうと感じます。母親の愛情を求めているけれども、十分に満たされないのです。
でも、誰も悪くありません。強いてあげれば、弱いものいじめをする兄貴は頼りないですが、彼もまた少年時代を抜け出せていない子供なのです。

本作は非常に抒情的に少年の心の機微が描かれていると感じます。
特にイングマルの感情表現は素晴らしいのです。イングマルは辛いことがあると、世の中の自分より不幸な出来事と比べて自分の辛さはちっぽけであることを確認します。
宇宙へ初めて飛び立ったライカ犬は自身の意思とは別に宇宙船内に縛り付けられ、地球軌道上を周回し、結果として死んで帰ってきた。彼に比べたら自分の辛さはちっぽけだ、そんな風に世間の悲劇と相対的に自分の辛さを客観視してイングマルは気持ちを落ち着かせるのです。

「比較すれば距離を置いてものを見れる」

それは彼なりのストレス対処法で、子供ながらにそのような対応力があることに驚かされます。そうやって様々な苦しみを乗り越えてきたのでしょう。

しかし、母の病は悪化します。病気に集中して療養させるため、医師の提案で兄弟は一時的にそれぞれ離れて暮らすことになりました。
イングマルが預けられたのは、親戚のいる長閑な田舎町です。住民の皆が知り合いとなるほど、人と人の距離が近い田舎の風景です。個性豊かで一風変わった変な人も大勢います。

グンネル叔父さんがすごく優しくて好き。
イングマルを子供扱いすることなく、対等な目線で寄り添ってくれます。
親族には都会に住む叔父さんもいるのですが、そちらの夫妻は兄弟二人を預かって面倒を見ることに抵抗感を示しており、二人とも肩身の狭い思いをしていました。
それに対してグンネル叔父さんはイングマルと一緒に東屋を作ったり、お気に入りのレコードを聞いて過ごしたり、サッカーチームに誘ったり、仕事場を案内したりととても穏やかで温かい父親的な接し方をしてくれます。
イングマルの最大の幸運は、預けられた先が彼に親身になってくれる家族やよそ者もすぐに受け入れてくれる地元住民がいるところだったことでしょう。
人との出会いが彼をストレスから救ったのだと思います。

イングマルはそこでサガという本作のヒロインと出会います。サガは一見すると男の子に見える女の子です。本人も自分の身体が変化していくことをまだ受け入れられません。
本作は10代のそんな微妙な時期の心の変化にフォーカスを当てており、イングマルも所々に性への目覚めが見られるのが特徴的です。
ヌードモデルの仕事を引き受けた村のマドンナがいて、イングマルは何も起こらないという保証人のために連れられます。せっかくだから彼女の裸を見ようと、わざわざ屋根まで登って天窓から覗こうとするイングマルの執念が怖いです。
が、その直後、天窓から落下して傷だらけの身体になるイングマル。しかもその手当をマドンナにしてもらうという情けなさです。10代らしい失敗体験です。大人になっても後々思い出して、死にたくなるほど後悔するやつですね。

サガはやがてイングマルに恋心を抱き始めます。嫉妬のもつれからボクシングで決着を付けることになったサガとイングマルですが、悪ふざけで犬の鳴き真似をするイングマルに対して苛立ったサガは、「あの犬は死んだんだよ」と真実を突き付けます。

"あの犬"とはイングマルが実家で飼っていた愛犬のシッカンです。一時的に田舎町から実家に帰った時も姿が見えず、イングマルはシッカンがどこへ行ったのか大人たちに聞いて回るのですが誰も答えてくれなかったのです。
子供の言葉は時に残酷です。薄々気付いていたことです。子供二人ですら田舎町へ預けられたのですから、シッカンを育てられるはずがありません。
大人たちは残酷を突きつけないようにはぐらかしてきたのに、相手を挑発するために真実を口にするなんて。
でも、思い返せばそれが子供の言葉だったなと感じました。真実を告げて、相手を傷つけようとする悪意のある子供の刃。
小中学生の頃、自分自身、言われたことも言ったことも覚えがある気がします。

そして、そんなサガの言葉は思わぬ感情の蓋を外してしまいました。
シッカンの死を直視した時、初めて愛する母の死を現実に感じたのです。
生きとし生けるものはいつかは死ぬ。でも、母親が死ぬなんて小さなイングマルには現実味が持てませんでした。兄は別れの訪れを予期していて早くから落ち込んでいましたが、イングマルはどこか感情に蓋をして受け入れられずにいたのです。
それが、シッカンの死を実感した時、初めて理解できるのです。これまで抑えていた寂しさが溢れ出し、一晩中、泣き続けます。
母はもう戻ってこない。シッカンもきっと処分されてしまいました。でも、決してイングマルのせいではありません。
グンネル叔父さんがまた優しくて、東屋に引きこもったイングマルを無理やり連れ出すのではなく、夜が明けてから出直して彼の不安や悲しみを受け止めて話を聞いてくれるのです。

こんなに重たい言葉を受けて、グンネル叔父さんがどんな言葉で励ますのだろうと思っていたら、彼は黙って手を添えながらイングマルの悲しみを受け止めた後、気分転換に近所に住む変なおじいさんが池で泳いでいるという現場を見に行こうと誘うのです。
すごく素敵でした。こういう時、下手な励ましや慰めの言葉はきっと効きません。イングマルの悲しみをどんなに理解しても、代わりに救い出すことはできません。
彼の苦しみは彼のものであり、彼自身がそれを背負って生きていくしかないのです。叔父さんはそれを分かっていたから、違う喜びへと誘い出したのです。

人生目を覆いたくなるほど辛いことも苦しいこともあるけれど、世の中に目をやれば楽しいことや面白いことも転がっている。最後にスウェーデンの英雄がボクシングの新チャンピオンになったように、心踊る出来事も溢れているのです。
確かに少年時代にそれらを経験するのは重たい出来事ですが、すべて合わせて、悲喜こもごも色々起こるのが人生。
サガと仲睦まじく眠っていたように、イングマルのこれからの未来は決して閉ざされたものになったわけではなく、希望の持てる出来事もあるのです。
愛した母や愛犬とは会えなくなったけど、まだ希望は残っていると感じさせられるラスト。
どんなに重たい背景があっても、明るい未来も見えるストーリーが素晴らしかったです。