こたつむり

黒い罠のこたつむりのレビュー・感想・評価

黒い罠(1958年製作の映画)
2.9
★ 誰がために映画は在るのか?

不遇の天才、オーソン・ウェルズ監督作品。
ということで、本作は『偉大なるアンバーソン家の人々』や『上海から来た女』と同様に、監督の意向に副わない編集が施されていたそうです。

しかし、今回鑑賞したのは“修復版”。
冒頭で「これはオーソン・ウェルズのメモ書きによって修復したバージョンである」と注意書きが出てきました。

これは…無粋ですねえ。
そんな前提があると「どこがダメだったのだろう」とか「修復した場所はどこか?」なんて鑑賞中に過りますからね。そういう裏話は最後にしてもらいたいものです。

だから、正直なところ。
冒頭の長回しや、監督さん自ら演じた“巨漢の刑事”など、惹き込まれる要素はありましたが、物語の流れが蜃気楼のように曖昧で散漫だったため、疑問点ばかりが先立ち、純粋に楽しむことが出来ませんでした。残念です。

以下余談(と云う名の言い訳)。

映画って誰のものなのだろうか?
…なんて考えていたら「映画を撮ること」と「家を建てること」の相似性に辿り着きました。完成した映画は出演者や監督のものではなく、出資者(製作会社や委員会)のもの…という解釈が“正論”なのでしょう。

だから、僕たち観客は“鑑賞料という名の家賃”を支払って映画の世界にお邪魔する立場(借主)ですね。そう考えると、立地条件や窓からの景色を売りにするように、どんでん返しや俳優さんを前面に押し出すのも理解できます。

でもね。
本当に大切なのは住み心地だと思うのですよ。
それは建築士のアイディアや現場監督の技術、心遣いから生まれるもの。映画で言えば「何を伝えるのか」と考え抜いた膨大な熱量。それが伝わってくるから僕たちは熱狂するのです。

まあ、そんなわけで。
大切なのは住む場所ではなく暮らし方。
つまり、観客の心がけ次第で映画は変わる…はず。そんな思いで作品に接しているつもりですが、出来ないことも多々あると思います。その際はご容赦ください。平に、平に。
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