茶一郎

十三人の刺客の茶一郎のレビュー・感想・評価

十三人の刺客(2010年製作の映画)
4.2
 この映画は切腹のシーンから始まった。翌年に老中就任が決まっている明石藩主松平斉韶の暴虐ぶりに堪えきれんと、同藩家老の間宮が切腹をしようとしている。この冒頭は、オリジナル1953年版『十三人の刺客』と全く同じカット割り、しかし今作はオリジナル版が見せなかった切腹の様子を映す。グサッと刀が腹に刺さると、グチュグチュと体が音を立てて割れていく。思えばこの冒頭に、あの集団(抗争)時代劇のエポックメイキングとなったオリジナル版を、自身の得意とする過激なグロ描写で鮮烈に「リメイクしてやる」という三池崇史監督の気概と勝算が詰まっているように思えた。

 こういったテレビ局製作のオールスターキャスト映画は、ご丁寧に一人一人のキャストに尺とシーンが割り当てられた良くも悪くも「役者さん」のための映画になりがちだが、今作は特に良い「役者さん」の映画になっている印象を受ける。
 何よりも、この映画を見た十人中十人の脳裏に焼きつくのは、暴君・松平斉韶扮する稲垣吾郎さんの怪演。オリジナル版の松平斉韶は、あくまで無礼で少々残酷な独裁者というまでで描写が止まったが、今作の松平斉韶はハッキリ言ってサイコパス。斉韶が行った数々の非道を映す序盤には、ただただ圧倒、この描写をもって今作の松平斉韶a.k.a五郎ちゃんは、『羊たちの沈黙』レクター博士、『ダークナイト』ジョーカーに並ぶ崇高な純粋悪になってしまった。
 また、ストーリーの改変は仕方なしか、オリジナル版の抗争は「頭脳戦」であることで盛り上げていくが、今作では、船に乗り込む斉韶一行を待ち伏せするシーンを削ったり、新たなアクションシーンを途中で挿入したりとアクション娯楽として『十三人の刺客』を再構成していく。娯楽として十二分に楽しめるが、三池崇史監督の話の重厚さを削ぐほどの相変わらずな悪趣味ナンセンスギャグは好き嫌いが分かれる所、また「時代劇」が過去の物になってしまった現在でオリジナル版のような役者さんの殺陣スキルが見られる訳ではないのは仕方がないが、少々残念。
 しかし、この『十三人の刺客』は、現在において「時代劇をやるということはどういうことか?」を突き詰める。「侍」の美学の衝突として抗争を描いていたオリジナル版の一方、リメイク版の今作は、一度も刀で人を切ったことのない侍の日描写を入れるなど、全編に渡って過去の物としての「侍」、その「侍」の相対化をしてみせ、そこで「侍」として生き、死んでいくことを見せるのだ。全くもってリメイク版として正しい姿勢。今作のラスト、地獄のような戦場を後にして前に進む侍は、まさに現代に時代劇を蘇らせようとし失敗した数々のリメイク作品の亡骸から飛び出した今作であった。
茶一郎

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