むっしゅたいやき

復活のむっしゅたいやきのレビュー・感想・評価

復活(2001年製作の映画)
4.3
人は、自らをも欺いて生きるべきなのか。
パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ。
原作はトルストイ三大長編の掉尾を飾る同名小説である。

原作小説は、冒頭に挙げた疑義を、革命前夜のロシア帝国を生きる主人公の煩悶を通し、我々読者へ突き付ける名作である。
高校生時代の汚れを知らぬ私は、本作と三浦綾子の『塩狩峠』や『泥流地帯』を涙ながらに読んだものである。
タヴィアーニ兄弟による本作の情報は昨年より得ていたが、何分「神の視点」となる宿命を逃れ得ず、心情描写や煩悶の描写が難しい“映画”と云う表現媒体である事、また、ラスト─原作では「神」「信仰」に因る救い─が、現代社会にそぐわないと云う点により、鑑賞を後回しにしていたものである。

扨、本作である。
名匠タヴィアーニ兄弟と雖も矢張り映画作品の桎梏は逃れ得ぬものであり、前半から中盤に掛けては特に、危惧していた心情描写の欠如、其れに由来する淡々とした事象の羅列になってしまっている。
例えば「カチューシャ」と云う呼称が、尊称と卑称─ロシアでは夫々別の呼び方をする─の中間を採ったものであり、封建的身分制度に於ける彼女の微妙で曖昧な立ち位置を示すものである点等、原作未読の者には分かり得まい。
また、ネフリュードフ公爵の理想と現実(社会・彼個人共)との乖離、カチューシャへの憐憫、過去の己の行為への罪の意識と自己嫌悪─、此等煩悶に因る眠れぬ日々も余り尺を取っておらず、淡々と流し過ぎている様に見受けられた。

但し、もう一点の危惧に就いては、単なる杞憂に終わった。
タヴィアーニ兄弟作品に特有の、現代的でありながら非常に温かみの有る救いのプロットへと改編しており、ネフリュードフの自己矛盾(贖罪の意識と、結婚と云う行為との乖離)を上手く合一化させ、昇華させる事に成功している。

本作は文芸作品である。
此の為、作品を取り込み考え、咀嚼し、自己へと落とし込む姿勢が我々にも要求される。
ただ、そう云った態度で臨めば、様々なテーマも見出される、非常に豊穣、有意な作品である事に異存は無い。
時代を超えて、トルストイ、恐るべし─、である。
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