亘

奇跡の海の亘のレビュー・感想・評価

奇跡の海(1996年製作の映画)
3.7
【愛か信仰か】
スコットランドの田舎町。ベスは別の町からヤンに嫁いだ。2人は愛し合い仲良く過ごしてたが、出稼ぎに行ったヤンが事故で寝たきりになる。妻を憐れむヤンは、彼女に他の男と寝ることを勧める。

全7章+エピローグ 計158分で愛に生きたベスの人生を描く作品。愛に生きたといっても全編的に重いテーマで暗く、ラース・フォン・トリアー監督の色が出ている。さらに今作はキリスト教の信仰も大きなテーマ。ベスは愛する夫に従い半ば売春婦のようになる。一方で他の男との関係は敬虔なクリスチャンとしては恥ずべき事。彼女はジレンマに悩み苦しみながらも夫のために他の男と寝るのだ。愛という点で見れば彼女の心はきれいだし、信仰の点から見れば彼女の心は汚れているかもしれない。非常に考えさせられる作品。

第1章: ベスの結婚・第2章: ヤンとの生活
序盤の幸せそうなパート。結婚式から始まり2人の仲睦まじい生活を描く。2人は頻繁にセックスをしていて互いを愛し合っていた。しかし夫ヤンの石油掘削の出稼ぎが近づくと、ベスは夫と離れるのに耐えられないと嘆く。それでも生活のためにヤンは出稼ぎへ出てしまうのだ。ベスの嘆きは極端だけど、極端だからこそ2人の強い結びつきがを印象付けていると思う。

第3章: 独りの生活
ベスが健気に夫の帰りを待ち続けるパート。ベスにとって唯一の楽しみは、ヤンとの電話。電話のためなら電話ボックスで何時間でも待てるし話せば話は尽きない。一方で時には発狂してひたすらに祈りを捧げる。ヤンと離れてから彼女の精神状態は不安定になってきたように思える。そして敬虔なクリスチャンの彼女は神との話し合いを始める。この神とのやり取りが彼女の敬虔さを表しているし、彼女の健気さも表して今作の重要なポイントでもある。ただヤンは事故に遭い手術を受けることになる。

第4章:ヤンの病気
物語に闇が見えてくるパート。ヤンは寝たきりになり入院している。ベスもヤンに会えてうれしいから病室で2人きりになると以前のように彼を愛撫する。ただ医師からは興奮させてはいけないと忠告を受ける。そして自宅でもベスはキスをするが、もちろんヤンはセックスできない。見かねたヤンは、「君が他の男とセックスする様子を聞くことで妄想する」とこじつけベスに他の男とのセックスを勧める。とはいえ彼の本心は、先の見えない自分なんか捨ててベスに幸せになってもらいたいというヤンの優しさである。まさに2人は愛し合っているのだ。

第5章:疑惑・第6章:信仰
物語が暗くなるパート。夫の言葉と言え敬虔なクリスチャンのベスは神に確認をする。すると神は、ヤンの言葉に従うよう話すのだ。そしてついにベスは他の男とセックスをする。その手法も自ら裸で誘ったりバスで男を欲情させたり、色情魔のようでもある。ただそれも全て夫のため。彼女は夫を喜ばせようと自らの性体験を夫に話すのだ。それがベス→ヤンのための行為ではなく、ヤン→ベスのための行為だとも知らずに。

第7章:ベスの犠牲
今作で最も過酷で暗いパート。狭い町ではベスの噂がすぐに広まり彼女は教会を追放される。敬虔なクリスチャンであるはずであるはずの彼女が神から見放されるのだ。そして町の人々はベスを無視し嫌がらせをし彼女は孤立する。それでもなお彼女は神を信じているし、夫のために他の男とセックスしようとする。そして荒くれ者の船の男の元へ向かった時に乱暴され大けがを負う。そしてヤンと同じ病院で息を引き取る。最後まで彼女自身は信仰を捨てようとしなかったし夫のために尽くそうとしていた。それなのに彼女は最悪の結末を迎える。これは神に背いたからなのだろうか。

エピローグ:葬儀
ベスの葬儀にヤンが立って参列している。しかも彼は杖があれば歩けるのだ。歩行は不可能だといわれた彼が歩けるのだ。それにラストシーンでは鐘のなかった教会に鐘がつく。これらはベスの祈りが神に届いたのだろう。夫以外の複数の男と関係を持ち神に見放されたはずのベスのいのりが神に通じたのである。彼女はそんな不貞だったとはいえ夫への愛を貫き通した。その愛で神に認められたと取ることもできるだろう。ベスにとっては「愛も信仰も」というスタンスだったのかもしれない。

何よりも今作で悲しいのは、ベスとヤンが互いを愛し思いやるがゆえにこのような悲しい結果になってしまったということ。ラース・フォン・トリアー監督の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」や「ドッグヴィル」より残酷さは薄いけど、切なさ・はかない美しさは上回る。

印象に残ったシーン:ベスがヤンと幸せそうなシーン。ベスが他の男を誘うシーン。
亘