強烈なまでの民族性、宗教性が如実にするのは、彼らの具体的な生活や思いではなくて、むしろ僕自身との共通項だった。
マリーチカを亡くしたイワンの、彷徨う思い。「愛する人を失うこと」は、喫茶店でも居酒屋でも語られて、2時間ドラマでも映画でも漫画でも本でも歌謡曲でも扱われて、ライトにもヘビーにもドラマティックにもアーティスティックにも描かれる。そしてここでも、こんな形で表されていた。この普遍性に、なんだかため息が漏れそうになる。
でも、その認識はまだ途中だ。
マリーチカへ祈りを捧げたあと、イワンが目にするのは窓辺に立つマリーチカの亡霊。重ねられるカットは、芸術的でありながら雄弁で、そしてなにより、とりわけ独創的だった。
上述のように、扱われる題材・心の動きは普遍的なものかもしれないけど、当然のように、そのどれひとつとして、まったく同じものはない。
んだと、はたと気づく瞬間。
普遍的でありながら、独創的である言葉、が、詩、なのか?などと、思ったり。