晴れない空の降らない雨

犯罪河岸の晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

犯罪河岸(1947年製作の映画)
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 クルーゾーというと、今では映画ファンの間でも「『恐怖の報酬』のリメイク元の人」みたいな扱いで可哀想だけど、じつはヨーロッパの三大映画祭でグランプリ総ナメしたことがある凄い人である(自分としては後期の『真実』の日本語ソフト化を強く望む)。
 アマプラで唯一観れるこの映画はその1つではないが、まずまずの佳作ミステリーであり、「結末まで目が離せない」というクルーゾー映画の特長もしっかりと生きている。また、配役を含めたキャラクター描写も魅力の1つであり、嫉妬深い夫は若ハゲでいかにもな寝取られ男だし、歌手の妻もいかにも舞台の世界で生きる女という見た目をしている。脇役の写真屋や成金ジジイたちもそれぞれ個性が光っているが、何といっても舞台出身で30年代から映画でも活躍していた刑事役のルイ・ジューヴェが素晴らしい演技を見せている。この老獪な刑事がじりじりと容疑者を追い詰めていく様が本作の面白さの中心をなしている。
 最初のうち、映画は、妻に近寄る男すべてを敵視する夫を滑稽に描くが、彼が殺人容疑者として追い詰められていく過程を通じて、この夫婦に観客が共感できるように巧みに誘導している。すると、刑事が敵役のように映るし実際いやらしいのだが、映画は彼に対して植民地出身の負傷兵という設定を与えたかと思えば、現地の少年を養子(多分)として溺愛する、殉死した同僚のことで激昂するなどの描写を加え、人間の多面性を見せていく。こうして観客は、映画が最終的にどう転ぶのかと気になって仕方なくなるわけである。
 
 映画は、大まかに言って下層階級に属する人びとに温かい眼差しを注いでいる。クルーゾーにしては珍しい本作の「優しさ」は、多分に時代に規定されたものでもあるだろう。ヴィシー政権時代、つまりナチス占領下に公開された監督の衝撃作『密告』は、あまりに人間を悪し様に描いたために戦後「反フランス的」と評された。そして同作がドイツの製作会社でつくられたために、クルーゾーは「親ナチ」と誤解されて、2年間の沈黙を余儀なくされたのである。
 そうして発表された本作には、同時代のほかのフランス映画同様、「戦勝国フランス」のある種の自己検閲が働いている。それが、この映画に見られる「庶民派的傾向」である。つまり、それは戦争と被占領を無かったかのように扱い、庶民を肯定的に描いてフランスの自画像と見なすことで愛国心を慰める、という曖昧な戦略である。実際にはこれは、ヴィシー政権時代のフランス映画の特徴でもあった。ナチス時代でも、反ユダヤや親ドイツの露骨なプロパガンダ映画はあまりなく、むしろ非政治的で道徳主義的な無害な作品が多かった。そして、戦後数年間もこの傾向は続いた。『鉄路の戦い』や『海の沈黙』といった無視できない作品があるにせよ、レジスタンス映画は例外的といってよい。こうしたフランス映画の状況は、終戦の年にネオレアリズモ運動が旗揚げしたイタリアとは対照的である。