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ウンベルトDのNMのレビュー・感想・評価

ウンベルトD(1952年製作の映画)
4.0
「不幸は無知につけ込んでくる」
だが官吏だったウンベルトもまた不幸に襲われた。不幸は誰にでも訪れる。自分は大丈夫だと思っていた人ほど、絶望し対処できない。ウンベルトの家は映画館の隣の4F、女中付き。老後の貯金まではできなくともそこまで不自由ない生活だっただろう。

もう会う人会う人に支援を頼みたいところだが、言い出すきっかけを掴めず、或いはけんもほろろで、そうこうしている間に部屋はどんどん破壊されていく。その様子が追い詰められていく彼の心情とリンクしていて、独白をしない主人公の感情にも移入することができる。

自分はこの先どうなるのかというぎりぎりの不安と恐怖。大事なものは全て売った、もう物乞いをするしかない、いやそんなことできない、やったこともない。あまりに辛い葛藤。
それに耐えて物乞いをしている人たちに通行人の同情が集まるのは、その葛藤が少しでも想像できるからなのだろう。私も人の気持ちが想像できる人でありたい。

昔のイタリア映画に出てくる家具はとても好ましい。特にあの小さなベッド。マエストロヤン二なども体を縮めてああいうベッドに収まっている。こういう部屋にすれば豪華でなくともこざっぱりとまとまるのだなあと思うが、なかなか真似できるものではない。そもそも余計な物がない。
また台所仕事の様子も良い。手間をかける良さというものが感じられる。

退院してふいに元気になるシーンは、この先どうなるかを考えるといよいよ切ない。

家賃も払えないのに、最後までフライクを見捨てないところは最も考えさせられる。
現代日本なら、犬なんか飼うなと叩かれるだろう。
だが本来はこちらの方が余程正しいように感じられる。家族であり、生きる支え。
フライクは決して死を選ばないし、ウンベルトにも選ばせない。
生きることを教えてくれたのがフライクかも知れない。
きっとフライクと離れるまではウンベルトの人生は終わらないだろう。

冷たい人もいる一方、困窮して道端に立つ人に当たり前のように情けをかける人が大勢いるのは素晴らしい文化。
日本ならあげるのも恥ずかしいし、そもそもそんな人たちは自己責任だと思っている人も多そう。

家賃を払わなければ退去させるのは間違いではないが、こっそり食べ物を分けてやるマリアや、微妙なラインの患者を留まらせてやる看護婦、おかしな患者に付き合ってやる余裕のある救急隊員らの方が、圧倒的に魅力がある。
できるものなら後者でありたい。
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