このレビューはネタバレを含みます
9/24 再見 立川シネマシティ・ワン
小さな公民館に町の人々が集まって、各々に椅子を持ち寄りスクリーンを見つめる素朴なあたたかい実りある時間も
夫がありながら、戦乱のなか失われた想いを馳せる背中にも
いちにちの仕事を終え視線を飛ばす清潔な立ち姿にも
すべてにうつくしさと、あたたかさが宿っている。こんなに宿っていたのだなぁと、再見して思いました。
冒頭のフランケンシュタインに、花弁を手渡す少女の像が、ずっと映画のなか流れており
物語が進むとともに、憧れと感触の増す
「死」の匂い
それがなんなのか、壊すことでしか
触れられない、幼さの力のゆかさな
不安定さや、混乱
閉鎖的な空気のなかで
アナの大きな瞳が、心で純粋にまっすぐ
物事を捉え
この映画のなかにずっと流れている、あたたかさや、慕わしさは、なにが失われたゆこうと、壊されようと、なにかを大事に思い、うつくしいと思う人の、気持ち なのだと思いました。
こういった形でしか語り得なかった、エリセの心が、映画という形をとった詩情としてずっと存在してくれていることに、ただただ感謝です。
この映画の時間のなかにまた浸ることが出来て幸せでした。
「dar」(あげる)
(映画のなかではdenと聞こえますが)
アナが青りんごを渡す場面は、初めて見たときから自分の心のなにか深いところ、日常を生きる中なか、沈んでいるような気がします。与えることでしか、そこに存在を生み出すことの出来ないあたたかさ。
それがどんな形をしているか、今日観るまで振り返ることもなかった。観れて、本当に良かった。
どんな悲しみや不安定さがあっても
なにかを慈しむ気持ち
いま、生きているという目のまえの圧倒的な事実を
それを営める、人のうつくしさとあたたかさの立ち現れた作品だと、つくづく思います。
本当に、特別な作品です。
見返すまで、いつも忘れてしまっているのですが、個人的に、森のなかきのこを探すシーン。初めて見たのはもう、何年まえなんだろう。
無意識に、本当に無意識に
こういったうつくしさのなかに、こういった人の在り方のなかに身を置こうと思い、今日まで歩いてきたきっかけのひとつだったと、思い出して、思わず涙が溢れてしまいました。
人が感触を持って生きていること
私もこれからも大事にしたいです。
だけど、初めて見たときはこんなこと思えなかったです。
うつくしいのはそうなのですが、もちろんそういったことにも宿ったお湯に浸かってるみたいなあたたかさにただただ泣きたくなって、音楽がたまらなく好きなこと、そういったことに、ただただ圧倒されていました。