茶一郎

アメリカン・グラフィティの茶一郎のレビュー・感想・評価

アメリカン・グラフィティ(1973年製作の映画)
4.5
走れ。走れ。若い内に走れ。
 全編カーステレオから音楽が響き続ける、明日にはこの町を出てしまう若者たちの一夜の疾走。
 文字通り青春を駆け抜けている彼らは、車に乗りながら車を隔てて会話をする。そうして、若者たちが車を降りて走るのをやめると、どこか青春の終わりを予期させます。

 言わずと知れたジョージ・ルーカスの監督第二作にして出世作。この映画に生きている若者は、惑星タトゥイーンで二つの夕日を眺めていたあのルーク・スカイウォーカーと何も違わなかった。
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 なぜ「アメリカン・グラフィティ」は『グラフィティ』なのか。
 いわゆるノートの隅っこに書く『落書き』を英語では『scribbling』と言い、タイトルにある『graffiti』は、昨今、グラフィティ・アーティスト:バンクシーなどで耳馴染みになった芸術性のある『落書き』のことだそうです。落書きの歴史を振り返ると、落書きが芸術として改めて認められたのはまさに今作と同時期の70年代。そんな歴史をふまえると、まさに今作はストリートの若者たちの率直な感情表現である『scribbling』が集合し芸術となった『graffiti』であり、故の「アメリカン・『グラフィティ』」であると考えます。
劇中の若者たちは家に帰ることはない、常にストリート。カーステレオから流れるDJから始まるヒップホップのストリート感もこの『graffiti』と繋がりました。
 
 今作の舞台は、ジョージ・ルーカスが青年時代を過ごした田舎町モデストがモチーフになっていることが知られている。
自動車改造に没頭した彼の青春。自動車事故がきっかけでカリフォルニア大学に進学し、映画:作家の道に進んだルーカスの半生は、劇中のある登場人物2人と重なります。
今作に見る主人公の大学に行くか・行かないか、この町を出るか・出ないかの葛藤は、紛れもなくルーク・スカイウォーカーの葛藤、映画作家として成功したルーカスの青春、そして全世界の人の普遍的な青春でした。
茶一郎

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