ある晴れた日の午後。
行き交う人で溢れるユニオンスクエア。
おしゃべりに夢中な若いカップル。ジャズバンドの演奏を黙って聴く年配の夫婦。道行く人の真似をする白塗りのパントマイマー。そしてその横を通り過ぎるジーンハックマン・・・
盗聴屋のコールは企業の取締役から依頼を受け、ある男女の会話を盗聴する。
今年のクリスマスプレゼントは何がいい?
ああいうお年寄りを見ると、あの人の家族を思わずにはいられないのよ。
他愛ない会話を繰り返し聞くうち、彼らの身の危険を悟ってしまう。コールはなんとか二人を救おうとするが・・・
会話の距離感って本当に難しいと思う。
コールみたいに自分のことを言わなさすぎて「私のこと信用できないのね」と相手の信用を失う。しゃべりすぎたらしゃべりすぎたで「あなたって自分のことばっかりなんだから」と呆れられ、これまた相手の反感を買う。
あのとき私言ったよね?いやそんな話聞いてないんだけど。
私はこういうつもりで言ったのに。それならこういうふうに言ってくれなきゃ分かんないよ。
言葉足らずで伝わらない。かといって詳しく言いすぎるとかえってまどろっこしくなる。
言葉というツールがある、伝え方のバリエーションもたくさんあるのに、伝えたい思いを言葉にするのは簡単じゃない。
レジ打ちをしていると、目の前のお客さんの言葉が聞き取れなかったり、さっき聞いたことすら忘れて同じ質問をして相手を怒らせてしまうことがある。逆に私が言ったことを相手が聞き間違えたり言いたいことがさっぱり分からず私の方がイラつくこともある。
倉庫に置きっぱなしのダンボールに向かって、通路に置いたやつ誰だよと悪態を吐くこともあれば、整理整頓されていないストックの山に、頼むからちゃんと仕事してくれよとげんなりすることもある。
一方で、欲しいタイミングで保冷剤をそっと置いてくれたり大量の割れモノを一緒に包んでくれ、私がいない間に荷さばきを全部終えてくれた同僚たちにめちゃくちゃ感謝する日だってある。
「同じ職場で、すぐ近くで働いていても、近いようで遠い。相手のことが見えているようで見えていない。それが私たちの仕事なんだ」と上司は言う。本当にそのとおりだと思う。
くぐもって聞き取れない音声がクリアになっていく。
途切れ途切れのフレーズを繋ぎ合わせ、何度も何度も再生しながら会話を復元する。
その断片から浮かび上がる事件の予感に、コールは目を逸らすことが出来ない。
見ず知らずの男女、言葉を交わしたこともない二人が、まるで自分と”近く”なったように錯覚する。
もし彼らが殺されたら、自分のせいでまた人が死ぬことになる。
自責感をエネルギーに、コールの不安はどんどん膨らんでいく。
「おまえを監視しているからな」と電話口で再生されるテープ。
盗聴を仕事にしている自分が盗聴されるという屈辱、そして自分も殺されるかもしれないという恐怖がコールを突き動かす。
受話器を徹底的に調べ、レコードもソファも外に追いやり、ペールグリーンの壁が、木目の床板が、次々剥ぎ取られてゆく。
それでも見つからない盗聴器。
最後までコールを見守っていたマリア像にも手を伸ばし、ついに叩き壊してしまう。
仲間も恋人も信仰も、自分が大切にしていたもの全部、不安に飲み込まれていく。
ぼろぼろに剥げた部屋の隅で一人、サックスを吹く。
扇風機のように無機質に振れるカメラが淡々とコールを映す。
近いようで遠い、他者との距離感を模索しながら今日も誰かと会話する。
( ..)φ
何年か前に、ポールオースターの幽霊たちを読んだ。
依頼を受けた主人公が向かいのアパートの男を張り込み調査する。
ところが何ヶ月経っても進展がない。思い切ってその男の部屋に忍び込むと、なんと彼もまた自分を監視していたというお話。その気味の悪さがなんだかクセになり母に話すと、それコッポラのカンバセーションに似てるねと言われた。以来ずっと観てみたかったカンバセーション盗聴。
TSUTAYAで取り寄せようか迷いつつ寝かせていたら、BS松竹東急が放送してくれた。
誰が敵か味方か分からず疑心暗鬼になる前半と、夢か現実か自分のことが信じられなくなっていく後半。
他者に怯え自分に怯え、そんな自分をはねのけるように怒りたくなる。彼の孤独にヒリヒリした。
ファーストカットから大好きな映画だった。