Oto

流れるのOtoのレビュー・感想・評価

流れる(1956年製作の映画)
4.0
芸者の置屋(タレントが住み込む派遣事務所)に新しく勤め始めた女中の視点で、零落していく芸者の世界を描いた物語。知り合いの監督のオールタイムベストと聞いてずっとみたかったやつ。

さすがの成瀬で、女性が皆すごく魅力的に映っている。女性しかいない空間だから無愛想だし愚痴だらけだし、会話の内容も話し方も姿勢も「オフ」の芝居だから興味深い。ただでさえ馴染みのない世界なのに、その裏側を覗いているような不思議な感覚になる。
大好きな『イヴの総て』や『サンセット大通り』と同じバックステージものと言えるけれど、ハリウッドがあのような華やかな世界を撮っていた時代に、小さな日本家屋でほとんど完結する物語を撮っていたのは面白いギャップだし、だからこそ人の機微に触れる独自の葛藤を映せたのかもしれない。

女主人も芸者も誇り高くて口では強がっているし、ジャジャンガジャン♪って踊りながら「こんなにいい商売はない」とか言っているけれど、実際はそんなに簡単なものではなくて、子供のピュアな眼差しが残酷な世界を物語っているように感じた。
「芸妓」のWikiが面白くてほとんど読んでしまったのだけれど、売春防止法が定められるまでは遊女との区別があまりなかったり、旦那(パトロン)に世話をしてもらわないと暮らしていけなかったり、ちょうど昭和40年代にはコンパニオンやスナック・クラブの台頭によって衰退していったり、彼女たちの苦悩は現実の世界に即したものだったことがわかる。
成瀬自身が、時代性に意識的な監督で、『乱れる』での個人商店とスーパーマーケットとの価格競争や、『妻として女として』で妻や家族が「三種の神器」を欲しがるシーンのように、世相を盛り込むことが多かったと読んだ。

まさに『流れる』世界の「無常」が描かれていて、勝代のミシンと三味線の音が対比される演出、フリーランスでやっていけなくて戻ってきた染香、事情を知りながらも二人に何も言えないお春、という構図でなにも解決せずに終わっていく、ラストの哀しい余韻が刺さった。
主人は最後までプライドを保って、新しく育成を始めて、姉よりもお浜を信頼しようと決めたのに、味方のふりをしていた人に裏切られたり、どんなに大事に育てても借金を残して逃げていくかもしれないし、結局信じられるのは自分しかいなくて、強く生きていくしかないんだという悲哀が残った。「女に男はいらないんだってさ」。

一方の、女中も「梨花」という名前を『千と千尋』のように奪われて「お春」として、芸者の世界に洗脳されていくわけだけど、最後も自分のための選択ではなく、お世話になった主人のための選択をしてしまう。自分を苦しめるまでの優しさに胸が痛くなった。
思えば、梅、りんご、お饅頭、ずっと誰かのために動いて誰かのためにものを買っていたなぁと思い出して、彼女が報われない世知辛い世の中を呪いたくなる。『東京物語』の原節子のような役割というか、やっぱり見慣れない世界を描くときにはフラットな視点の新参者を主人公に置くべきだと感じた。

高峰秀子も岡田茉莉子も目を見張る美しさだけど、なぜ今見てもこんなに面白いのかを考えるとやはり人が持つ普遍的な欲望や葛藤を描いているからだろうと思う。身近にいる女性のクリエイターから同じような悩みを聞く機会は多いし、独りではどうしようもなく寂しいけれど、好きでもない人にすがりつくほど落ちぶれたくないし、自分自身の本質的な魅力やスキルを認めてもらって成功したいというのは、自分の中にもある、時代を超える欲望だと感じる。
Oto

Oto