ふき

007 スカイフォールのふきのレビュー・感想・評価

007 スカイフォール(2012年製作の映画)
5.0
ダニエル・クレイグ氏のジェームズ・ボンド作品の三作目だが、再リブートと考えていいだろう。時系列的には、『カジノ・ロワイヤル』『慰めの報酬』に似た事件の後に、『ドクター・ノオ』~『ダイ・アナザー・デイ』に似た事件がきて、その次か。

六二年に始まったボンド映画のシリーズは、六九年のジョージ・レーゼンビー氏の時点ですでに「ボンド映画なんてもう流行らない」と言われていた。七〇年代八〇年代は時代に食いつきながら製作を続けていたが、九〇年代に入ると『ゴールデンアイ』で「冷戦が終わった現代、諜報員が必要なのか」と悪役に言わせたり、二〇〇〇年代では『慰めの報酬』で敵味方に分けられない情勢でのMI6を描いたりと、ボンドの存在意義を疑う問いかけを発し始めていた。
本作はその点を徹底的に突き詰め、一つの回答を提示することで現代に相応しい「ジェームズ・ボンド」を再定義、再提示した作品だ。そういう意味では、「第二期ダニエル・クレイグボンドの一作目」と言えるかもしれない。

本作については書きたいことがありすぎるので、ポイントを絞る。
本作のボンドは諜報員として様々な事件をこなした後のロートルとして描かれ、お話は「ロートルですが何か?」とその再起に向かって進んでいくのだが、装備もそれを補強するように時代遅れなものが多い。
まずQがボンドに渡す秘密兵器が、認証機能付きのワルサーPPK/Sと、小型ながらも単なる発信機だ。どちらも現代的にアップデートされているが、PPK/Sは六〇年代の拳銃だし、発信機は『ゴールドフィンガー』でも活躍したスパイガジェットの基本中の基本だ。極めつけはボンドの私物らしきアストン・マーティンDB5(『ゴールドフィンガー』的秘密兵器入り)で、本作でボンドが使う装備は、明らかに「既に時代遅れと化したボンド映画」を象徴するものたちだ。
それらと平行して、さらに時代が遡った武器たちが登場する。シルヴァに渡される銃が単発のパーカッション式拳銃や、篭城戦での手製の罠やダブルバレルショットガンやダイナマイトがそれだ。
ボンドは上記のような「時代遅れの象徴」を魅力的に駆使して敵を追い詰めていくことで、一時はダブルオーの復帰も危ぶまれた能力の健在と、ロートルの魅力を教えてくれるのだ。

とはいえそんな具合なので、終盤のアクションは明らかに地味だ。アバンタイトルで「従来のダニエル・クレイグ的ボンドアクション」を見せて、中盤でボンド的記号たる秘密兵器を使って飄々とピンチを切り抜けていくだけに、終盤の地味さは半端ではない。だがそれは意図だ。
秘密兵器を使い切り、西部劇的武器もなくなり、自らの過去の象徴である家も焼失し、“とある”ボンド・ガールも助けられず、ボンドはすべてを失う。そしてMI6に復帰したボンドは、Mの指令にただ「With pleasure(喜んで)」と言うのだ。
それはダニエル・クレイグ氏が演じてきた原作に近いタフで寡黙だが人間的なボンド像でも、ショーン・コネリー氏のシリーズ初期作に見られるユーモラスだが冷酷に指令を遂行するボンド像でもなく、両者のマッシュアップだ。自分の過去も捨て去って「天が落ちようとも忍耐強く正義を遂行する」、極限まで研ぎ澄まされたボンド像だ。誰も演じたことのない「ジェームズ・ボンド」を再定義してみせたのだ。

そういったマッシュアップは、他のキャラクターについても同じだ。
Qは、ブースロイド少佐だった頃の『ドクター・ノオ』と同じ「拳銃を渡す」役回りで登場した上で、現代のサイバー戦の立役者として新しい立ち位置を見せてくれる。
Mは、ジュディ・デンチ氏演じる「原作者が母親を投影したM」をボンドに乗り越えさせた上で、原作における「Mの前任者」の扱いとなり、原作のMに近い人物像のキャラクターと入れ替わった。かつ後者の人物は自ら前線に立って戦える能力を獲得したし、原作の海軍中将から元SAS所属に変更されることで対テロ戦の匂いも感じさせる。
マネーペニーは、ボンドと微妙な距離感を保つ原作のテイストを残しつつ、全く違う背景とポテンシャルを秘めたキャラクターとなった。
シリーズ初期作のキャラクター配置を踏襲しながらも、よりアクティブな方向でアップデートが加えられ、様々な組み合わせでのチーム活動が想像できる。ダニエル・クレイグ氏がいつまでボンドを続けるかは不明だが、この世代交代の方向性が維持されるなら、今後は過去作以上に活躍の幅が広くなっていくだろう。

(2016/04/04にマークしたが、シリーズを再度見返した上で2016/12/10にアップデート)
ふき

ふき