矢吹

春のソナタの矢吹のレビュー・感想・評価

春のソナタ(1989年製作の映画)
3.9
ギュゲスの指輪。ちょっと違うけど、
私を見ても何も退屈するばかりだという、反省をする女性。めちゃくちゃ良いやんけ。

春ソナ。へらへらとながめていくで会話会話。攻防である。これが見てられるのだ。エリックロメール。お前の中に何人ストックあるんだよって思いつつ、こんなもん1人の人間の中の話であると言って仕舞えばそうなのだが、だからこそ、いや、うるせえなと、ネガティブ漫談や漫才に近い面白さも無意識のうちに抱えているのかもしれない。軽くブラックマヨネーズ氏とか最近でいう宮下草薙氏の笑いの作り方である。そのはるか昔のエリックロメールであることはあらためていう必要はないという必要。
アプリオリだかポステリオリだか知らないけど、
ぐだぐだ話す会話から対話になり対立が生まれ、
憎しみである。さすがに、あの小娘には呆れ果てて当たり前であってよかった。扉を勢いよく閉めるあの感じとすぐにお皿を取り上げるあの感じだ。
教師は断れないのか、もしくは、冒頭で言うように、飛び込むのか。なぜ別に何のアトラクションもないのにこんなに楽しめるのか。
エリックロメールさ、うちらさ、まじで何も頼まずに一生喋ってられるよね!やばくね?この前もマックで勉強せずに気づいたら2時間ぐらい喋ってたし、まじ迷惑、早く帰れよって感じ、何話してたかなんも覚えてないけど、死ぬ。と親友のロメールに話しかけたい気分であるが、その話しかけっぷりを横で聞いてるおじさんが、いやロメールの実力がすごいということをわかってない小娘め。と分かったふうな口を心の中でしているのを、全く気にしないのがロメールであるというオチを期待するが、ロメールには全てを含めてほくそ笑んでほしいという感じなのである。
しかし今あんな話し方する子っていないのかな。わかんないな、怖い話だな。
三角、3の論理でいくと、今作で3は悪魔の数字に違いないのです。2と4のバランスが崩れた時に素敵な地獄が始まるっす。カメラワークが一対一になるところから、一対一対一なり、対一が増えていく感じたるや。閉じた世界を定義する神秘の鍵は使わないに越したことないのだ。
要するに、指輪をつけてるのは我々ってこと。なのかもしれない。理屈は知らないけどってそうでもないの、なぜならベラベラ話すから。
エリックロメールなんていつもそうだよね、特に。これが哲学。を生み出す病気。
本能に従ういつもの動き。
男を分析して言語化して近くや遠くに配置するのは、めちゃくちゃ危険が伴う、悪魔の作業なのであります。もっと感覚的に動けるくらいがちょうどいいのではなかろうかと思いますけども。
そして、御洒落の行方。は、遥か彼方or目鼻。
and人生は、素敵なのよ
娘のピアノを聴きながら、始まる駆け引き。最高さ。

観客と映画は指輪を交わす恋人同士であり、リアルにそれを持ち込むのはとてもいいけど、つけてまっせをアピールするのは良くなかったり、それこそ見せ方なのだと、映画好きあるあるじゃないかな。指輪故の孤独であれば美しい。余計な話。
いいとは言いつつね。そりゃそう。
矢吹

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