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パリ、テキサスのshibamikeのネタバレレビュー・内容・結末

パリ、テキサス(1984年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

高校生の時に倫理の授業で、昔のギリシャ哲学かなんかの考えでは、「そもそも人間に性別の違いは無く、男と女は1つだった。それが別々に別れてしまったために、元の1つになろうとして男と女は求め合う。」という風に考えられていた時代があったと聞いた覚えがある(怪しい記憶)。
「元の1つになるからオ○コは気持ちええんかぁ」と10円ハゲの自分は童貞のソクラテスであった(?)。
元の1つになる。強烈な引力で互いに引き合う場合もあれば、片方が無理矢理力ずくで抱き寄せる場合もあるであろう。男と女が地球に登場してからというものの、気が遠くなるほどの惚れた腫れたヤッたヤられたがあった。本作は強烈な引力で男と女が求め合ったにも関わらず、引力が強すぎたために互いに粉々になってしまった話に思えた。二人の激しい愛の軌跡は二人の記憶の中でひっそり死んでいくのか?死んでいく前に映画館で観ておいたらいいんじゃん。

以前から名作という噂を聞き、いつか観てみたいと思っていた本作。
タイトルから、フランス パリとアメリカ テキサスの間で何か起こる話なのだろうな、と想像していた。
が、さにあらず。
アメリカ テキサスに「パリ、テキサス」というややこしい名前の場所があるとのこと。で、自分のように知らない人が勘違いする、というのが映画の中でも語られる。
パリジェンヌを気取って(男なのに)アニエスベーのベレー帽、赤いスカーフ、ボーダーロンT を着て劇場に来ていた自分は、急いでベレー帽のてっぺんのひも?を引きちぎり、スカーフで鼻をかみ、ボーダーにマジックで縦線を書き込み、即席チェック柄ロンTをこしらえた。帰りにはテキサスレンジャーズのダルビッシュ有選手のレプリカユニフォームを楽天で注文した。

映画は広大な荒野で幕を開ける。青空が本当に素晴らしい。青空に関しては上映中何度も登場するが、すべて素晴らしい。

荒野をとぼとぼ歩く男が1人。スーツに真っ赤なキャップを被ったひげもじゃ痩せ男。のどの渇きに倒れるも、やぶ医者に命を救われる。一命をとりとめた痩せ男であるが、感情という感情を見せない上に、一言の一言も喋らない。

なんやかんやで痩せ男の弟がロサンゼルスから迎えに来る。痩せ男は4年間失踪していたトラヴィスという名前であった。弟との車での帰り道でもトラヴィスは一言も話さない。何日かしてようやくトラヴィスは言葉を発する。注目の一言目は、
「…パリだ。」
であった。これを聞いた自分は「おお、こっからヨーロッパへ行くんやな。」と思っていたが、速攻で冒頭に書いた通り、「テキサスのパリ」ということが種明かしされる。ここら辺で自分はボーダーに縦線を書き込んだ。トラヴィスはこの一言目を発した後は案外普通に話し出すし、喜怒哀楽の感情も見せるようになる。それまでは明らかに我を見失っていた精神異常者だったかのように。

荒野を行き倒れて、一言も話さない男トラヴィス、という映画序盤は謎が多すぎて物語が浮世離れしていたのだが、ロサンゼルスの弟の家に着いてから話は一気に現実感を帯びる。
トラヴィスにはハンターというサラッサラ金髪で透き通るような碧眼の超絶イケメン息子(7歳)がいるのだが、父トラヴィスと母ジェーンが二人とも突然行方不明となり、幼いハンターは弟夫婦の元で本当の子どもとして育てられていた。

ここらで我々観客はこの映画が目指す所をぼんやり把握する。「ははーん、母親ジェーンが物語の鍵握っとんやな。」
そして、映画はその通りジェーン探しへと進む。ジェーン探しの手掛かりは毎月1度行われる銀行振り込み。気が遠くなりそうな手掛かりに思われるが、速攻でジェーンが見つかる(映画だしね)。しかし、この千載一遇の大チャンス到来にも関わらず、トラヴィスはポカポカ陽気に車中で眠りこけるというポンコツぶり。

ハンターの活躍で何とかジェーンの追跡に成功。追跡した先はジェーンの職場であった。そこは何とスケベな紳士諸氏が下半身の欲望を人知れず解消するいかがわしい秘密のマジックミラーのお店であった。
かつて(というか今も)愛した女のアウトローな仕事に動揺と困惑を隠せないトラヴィス。「いつまでこんな仕事続ける気だ?将来のこと考えてるのか?」とヌくだけヌいておいて、風俗嬢に説教を始めるそこら辺のおっさんのように、自分の正体を隠しつつジェーンを罵るトラヴィス(トラヴィスはヌいていない)。しかも目には涙。トラヴィスの怒りも理解できるし、女1人で生きていくジェーンの覚悟だって馬鹿にできない。それにしてもエロい店なのにオシャレ過ぎやしませんか?ここら辺流石である。

1度は困惑したまま、店を去るトラヴィス。それからハンターと過ごす内にある決心をする。ジェーンとハンターを引き合わせ、自分は去る決意をしたのだった。何とまぁ、ぶきっちょな男なのか。図工させたい(?)。

ハンターをあるホテルの一室に残し、再度、マジックミラー号…ではなくマジックミラーのお店へ向かうトラヴィス。トラヴィスが客とは夢にも思わないジェーンは笑顔でマジックミラー越しにトラヴィスに話しかける。
「話したいことがあったら何でも言ってね。私、聞くの得意だから。」
この発言は当然、「人には言えないスケベな話何でも言ってね」という性的な意味である。しかし、トラヴィスは文字通り「ジェーンに話したい話」をポツリポツリと喋りだす。

おおざっぱにまとめると、かつて二人は激しく愛し合っていたが、トラヴィスのジェーンに対する独占欲、ハンターが産まれてからのジェーンの育児ノイローゼなど、精神的に不安定となってしまい、二人の愛は悲劇で終わった。
この素晴らしい映画の肝となるトラヴィスとジェーンの関係をおおざっぱにまとめるというのがそもそもこの映画に対する冒涜である。色々な考え・見解が可能な素晴らしい話だと思う。
素晴らしいのはストーリーだけでなく、最初はトラヴィスが背を向けてジェーンに話しかけるのが、その後、ジェーンがトラヴィスに背を向けて話しかけるという視覚的にもメタクソ素晴らしかった。
そして、ジェーンが働いていたのがマジックミラーのお店というのも良い。普通にコールガールだったら、いきなりご対面で興ざめであるが、マジックミラーで最初姿見えないのが、声や話で「まさか…?」と思わせ、電気を消してご対面という段階を踏んで行く感じがあっぱれであった。

強烈に惹かれ合った二人の関係は依存性のようになってしまい、仕事を辞めるなどの日常生活に支障をきたすまでに。純粋過ぎて、清潔過ぎて、潔癖過ぎて、バイ菌おびただしい社会生活に順応できないように見えた二人のロマンス。

トラヴィスがハンターに語る、トラヴィスの父の話。父お得意の冗談「妻はパリの出身だ…テキサスの!」という冗談がいつしか冗談でなくなってしまった、という話。トラヴィスはハンターには自分の父が妄想に取りつかれたヤバイ男として話したが、序盤、弟との車中では面白い話としてこの話をしていた。
トラヴィスは自分も父と同じように妄想に取りつかれたヤバい男というのを感じていたのかもしれない。空白の4年間の記憶はほとんど失われ、廃人のように過ごしたが、人生で最も愛するジェーンとハンターのことを最優先してトラヴィスなりに考えた結果が、映画の最後なのであろう。

父と母が自分(トラヴィス)を産んだ場所である「パリ、テキサス」。自分にとって原点とも言えるその場所で、自分の愛するジェーンとハンターと生きていきたい。鮭が産卵期、産まれた川へ戻るかの如く、トラヴィスが「パリ、テキサス」を目指すというのはまったくもって当然のことだった。

ハンターを失いたくない弟夫婦であったが、失いたくないのであればトラヴィスに会わせないであろうし、トラヴィスとは絶縁して、迎えに行っていなくても不思議ではない。端から見ればトラヴィスとジェーンは育児放棄した無責任な未熟な親である。しかし、弟夫婦はトラヴィスを見捨てなかった。人にはそれぞれ事情がある。理解に苦しむことでも、やってしまう。自分は観ていて、終盤にあっさり弟夫婦を登場させなくしたのを観やすくて良いと思った。

ハードボイルド版クレイマー、クレイマーというのが頭に浮かびながら劇場を去り、楽天でテキサスレンジャーズ ダルビッシュ有選手のレプリカユニフォームを注文した。
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