海

パリ、テキサスの海のレビュー・感想・評価

パリ、テキサス(1984年製作の映画)
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誰もが飛行機か新幹線を選ぶだろう遠い距離を、わたしたちだけが車で走るときの、車窓から見る夜明けと街の明かり、眠っているまぶたや太ももに落ちる対向車のヘッドライト、遠くから響いて聞こえるクラクションやサイレン、立ち寄ったパーキングエリアの売店はなんとなく夢の中みたいで、もう何周もしたCDの3曲目、髪の毛やつないだ手を撫でてくれるあなたの優しい指さきも。この夜を終わるまで続けていたくて愛し合うひとたちは同じことをくりかえすのよ。知らない国の、知らない街の映画の中に、いつもわたしは親しいひとの影をさがしてしまう。

ある時わたしは、世界で一番恋しいひとを心に棲まわす少女だ。好きなひとが居て、いつか、ううん今も、わたしはそのひとのために詩を書く。
「あなたの声が心のことを語るとき/わたしのからだは愛を吹き込まれている」
これを書いたのは、自分の誕生月だった。いつもわたしは絵本を毎日1ページずつ読み聞かせるみたいに時間をかけて話をした。夢の中じゃない目の前に生きていて手のひらが熱いあなたが居るだけで言葉なんて出てこないわたしの言葉を、彼は待っていてくれた。その優しさにふれるたび、青くて静かな雨を思い浮かべた。彼は背中や眼の奥に、いつも雨雲をたたえているみたいなひとだった。最後に話した時、彼はわたしに言った、「海を見るとついあなたのことを思い出しています」「海ってたぶん女の子だ」。その声と、抑揚と、あなたのこころとからだと、わたしのそれ、目に浮かぶ視線と瞬き、重ねてきた時間、そのすべてが彼の言葉を作っていた。その言葉はわたしにとって、世界中にあるどんな詩よりも深い意味を持った、本当にすごいものだったの

ある時わたしは、母を愛する子どもだ。かつてママには人生で最愛の恋人が居た。妹がまだ保育園に通ってたくらいの頃、夏休みに皆で花火をする予定で夕方、幹線道路沿いのファミレスに入った。大型トラックが通るたびに建物がわずかに揺れた。窓からは海が見えた。わたしと妹が隣同士で、その向かいにママとママの恋人が座っていた。ママが席を立ったとき、陽の沈んでいく海の方をじっと見つめながら、時々ばれないように横目で彼のほうを見た。側から見ればわたしたちは今、幸せな家族に見えるのだろうかなんて考えていた。一生懸命にハンバーグを頬張る妹をじっと見て笑う日焼けした顔は、本当の父親よりもずっと優しく見えた。海岸で花火をしたのはあの日が初めてだったのに、肝心の花火のことは覚えてない。抱きあげて振り回されてきゃっきゃと笑っている妹がかわいかった。わたしもお願いしたかったけど、してもらったかどうかも、ちゃんと思い出せない。それから一度もわたしはそのひとに会うことはなかった。キッズ携帯から引き継ぎ続けた連絡先、今もわたしのiPhoneには彼の連絡先が入っていて、名前をみるだけで、どうしてかほっとする。「ママが強くなれんときは、海が強くなって、ママを守ってあげられるか」もう一度電話口でそう聞かれたら、わたしは泣かずに「うん」って答えられる。

ある時わたしは、子どもを愛する母かもしれない。ベルを見てるとき、このやわらかなからだの中に、夢を見させたり誰かの泣いてる声に気づかせたりする心が、ときどき声や瞳や表情に浮かんでは隠れる心が、入ってるんだと思うと涙が出るほど、嬉しくなる。わたしの中から他の何もかもが消え失せた時だって、この子への愛情だけは、わたしが死ぬ時まで続くのだと思う。

はじめて『パリ、テキサス』を観た夜わたしは、「ジェーンの髪の毛が濡れていたのは、8ミリフィルムのあの海から光の速さでとんできたからだ」と書いた。そういうことって本当にたまに現実でも起こって、そのとき一瞬だけわたしは、神さまを信じるの。わたしたちは出会ったらもうお互いをうしなえないことを知るから。何度もくりかえしわたしは、おんなじ涙をおんなじふうに流し、おんなじしあわせの中で、おんなじふうにほっとして眠りにつくのでしょう。
わたしはたぶん、優しい。でも大切におもう誰かが、わたしのためにくれる優しさをこえることなんて、一生かけてもできないような気がする。愛されてばかりいる、許されてばかりいる。そのさみしさは、きっとずっとなくならない。

わたしの名前には、海って字が入ってる。幼い頃からずっと、この名前に見合うような、海みたいに美しくて優しいひとになりたかった。誰よりも優しくて強いひとになりたかった。わたしは長いあいだ、悲しいときそばに居て決して傷つけたりしなくて相手を許す心を持って許せない行為は忘れてしまうことを、優しさだと思ってきた。でも、それは違うの。ただわたしにわかるのは、あなたの目に光が絶えないのなら、本当はそこに映るのがわたしでなくても大丈夫なんだということ。あなたの唇に温もりが、耳に歌が、心に海が絶えないのならわたしは、それ以上なんにもいらない。幽霊にも天使にも、海にだって、なんにだってなる。からだを手放して裸になって、おなじ波を、くりかえすよ。誰かの心の中に、見たことない景色や聴いたことない音楽を、わたしたちは感じとることがある。恋とはそのひとの孤独に光を見いだすということ、愛とはそのひとの孤独に光をあてるということ、どんなにあなたが孤独でも、一人じゃないと思っていてほしい。一度出会ったら失えない温もりのことを、わたしは愛と呼びたい。
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