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第三の男のnt708のネタバレレビュー・内容・結末

第三の男(1949年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

昨今のサスペンスというと真相を明らかにしようとする刑事の視点が重きが置かれるために描かれ方が必然的に客観となるのだが、この時代のサスペンスは真相を明らかにする側の人間に視点があるものの、容疑者と何らかの関係を持っているがために作品が主観的に見えることが多いように思う。

特に本作はその代表だろう。主人公は本来であれば警察と全く関係のないアメリカ出身の小説家。20年以上付き合いを持つ友人・ハリーをウィーンに訪ねてきた矢先、彼が事故で亡くなったことを知る。最初は単純なる興味から彼が亡くなった状況を周りの人に聞いていたのだが、途中から聞く人聞く人の話に微妙な食い違いがあることに気が付き、真相を解明することに乗り出すのである。結果的にハリーは死んでおらず、ウィーンを逃げ回ることになるのだが、ここで主人公に葛藤が生まれる。彼を逃がすべきか、あるいは警察に突き出すべきか。ここが本作一番のみどころである。

個人的にはハリーが最後、排水溝の蓋から指を出しているところを見て、この人はもう救われないのだと直感した。なぜなら、あの排水溝の入り口は事故があった現場の近くであり、あそこにはヨセフ像があったからである。つまり救いの神は彼に手を差し伸べなかったのだ。そう考えると、本作が言わんとしていることが見えてくるように思う。愛情や友情、ハリーのような存在を生んだ戦争に対する批判もそうだが、それ以上に神に対する信仰の重要性をもう一度説きたかったのではないだろうか。つまり、戦争によって神への信仰は無駄であり、これからの時代は実利主義であることが証明されてしまった。しかし、それでも神は我々を見ており、現世での行いは因果応報であるゆえに、戦後に残された人間は神の子として正しい行いをしなければならない、、というのが本作の伝えようとしたメッセージであるように私は思う。

自分自身、何かの宗教を崇拝しているわけではないが、このようなことを描きたい気持ちは理解できなくもない。現に、新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、信仰心だけではどうにもならないという事実を我々は目の当たりにしている。戦中と同じように世界が共通して何らかの危機に直面している今こそ、戦争を経験していない世代にも、本作の言わんとしていることを真に理解できるのではないだろうか。
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