近藤啓二

瀬降り物語の近藤啓二のネタバレレビュー・内容・結末

瀬降り物語(1985年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

長年、ほしいものリストに入れてたDVDを購入。

他のレヴュー同様に、サンカという漂泊の民へのロマン、憧憬も多分にあった。
また三角寛サンカ選集もそろえており、まだ邦画に力強さが残る時代の映像化という期待もあった。

率直に言うと、この異質な文化を持つ人々の社会がナレーションで語られるが、すっと理解できるものではなかった。
それが出だしのつまづきだったように思える。

サンカについてある程度調べている者なら、クズシリ、ハタムラ、ヤゾウといった独自の用語は理解はできるが、それでもやはりそれらの用語が映像における実際的な形、動き、事象などに結び付けられ、映像的な理解を得るまでに時間がかかった気がする。
早い話、脚本で言うところの“セッティング”が不十分だったということだ。

名匠・中島貞夫監督が、何十年も温め続けてきた魂の企画だったことも影響があっただろう。
三角寛のライフワークでもあったサンカ世界観はあまりに膨大で、それを映画にまとめながらも突き放して構成するには思いが深すぎたのかも知れない。
自分が理解しているものはわかるだろうという思い、期待にはまりやすく、俯瞰して観るのはなかなかに難しい。
それぐらい、サンカというモチーフは人の心を捉えて離さない魅力、魔力のようなものがあるのだと思う。

しかしながら、40分くらいを過ぎると大自然の絶景、そこに溶け込むように行われるサンカたちの営みが俄然、目を引き付けるようになり、映画自体が力強さを発揮し始める。

スサノヲノミコトの末裔、あるいは縄文時代からの系譜、といった古代ロマンが重ねられ、勾玉のネックレスを胸元に飾る少女の姿などは、まるで時代背景があいまいで、幻想的な世界を感じさせるものになっている。
また長年、どのような形状かと空想にとどまっていたテンジン(自在鉤)をつかった囲炉裏の組み方などが再現されているのを見て、少なからぬ感動も覚えた。

現代的なBGMの選曲や、ピアス、竹のコーンパイプなどは唯我独尊のスター俳優・ショーケンによるいつものごり押しアイデアじゃないのか? とやや苦笑してしまいたくなるが、そういった食い合わせの悪さすらも、今のキレイキレイな大量生産品の日本映画にはない”残念な魅力”になっている。

厳しいハタムラ(掟)はすなわち、無慈悲な大自然に生きるサンカの哲学である。
三石研演じるミュージシャン崩れの青年は、その地に足のつかなさ、性欲に振り回される若さゆえの卑怯さなど、物質的に堕落していく我々の生活圏の象徴として登場する。
物語のラストで、彼をある意味非情な形できつく戒め、しかしサンカ社会へと受け入れるショーケンの姿は、この厳しいハタムラを護り続けるヤゾウ(親分)として胸打たれるものがあり、歴史に消え去った人々への深い余韻を残すものになっていたと思う。
近藤啓二

近藤啓二