このレビューはネタバレを含みます
フェリーニの「道」を観賞した流れで、本作を観る。
商売道具の自転車を盗まれた父親が追い詰められ、最期には自ら自転車泥棒を働いてしまう。
第二次大戦後の貧困に翻弄される家族を描いた物語だ。
祖国の今を、過剰な演出を避けてセミドキュメンタリーとして描くことで、ファシズムから抜け出た祖国の傷を癒そうというネオリアレズモの運動の流れにある。
このため、演者のほとんどが演技未経験。
主人公の父役ランベルト・マジョラーニと息子役エンツォ・スタヨーラは、もともと役者ではなく全くの一般人だ。
幼少期から耳にしていた哀しい名作というイメージが強かったが、そうではなかった。
悲痛な物語といえば「道」のほうが悲壮感が残る。
本作はむしろ貧しい親子が彷徨う厳しい現実とともに、未来への希望を与えているのではないかと思えた。
映画の冒頭、職業斡旋に群がる人々の中に名前を呼ばれる主人公は混じっていない。
遠く離れたところで手持無沙汰にしている彼は、名前を呼ばれている事さえ気づかず、仲間が呼びに来てくれたことで、ようやくその人々の中に入っていく。
彼はそもそも、「社会の外にいた人間」として登場する。
職を得たことで社会に参加しようとした矢先に、愛用の自転車を盗まれる。
犯人を捕まえることができなかったが、この時も一緒に泥棒を追いかけてくれる者たちがいる。
その後、彼は占い師のもとを訪ねたり、犯人と思しき男を追いかけて彼の住む横丁で住人達と諍いになったり、様々な社会集団と交わっていく。
そこに属する人々にもそれぞれの理由があり、困窮する主人公父子とすれ違っていく。
社会の外に漂っていた者が、自分の居場所を求める物語だ。
父は追い詰められ自転車を盗み、街中を追い回され、捕まってしまう。
警察へ連れていかれる中、泣きじゃくる息子が縋りつき、
自転車の持ち主は父を赦してやる。
うなだれて帰路につく二人は、雑踏の中に消えていく。
彼らはどのような居場所を見つければよかったのか。
どのようにみつければよかったのか。
ただ、決して非情なだけではない社会が、彼らを受け入れていくラストだと感じられた。