しゃび

気狂いピエロのしゃびのレビュー・感想・評価

気狂いピエロ(1965年製作の映画)
5.0
初めて観たのは遥か昔の話。
私にとって、後の映画の見方に最も大きな影響を与えてくれた作品の一つ。

ゴダールの映画・政治・文学・恋愛等に関する想いが散文的に彩られたエッセイ。

映画の「分断と再構築」と言われるこの時期のゴダール作品の中でも、集大成的な作品だ。
とりわけ、当時のアメリカの影響下におかれた様々な事柄に対する、ゴダールの感情が強く現れているように感じる。

商業映画のアイコンとしてのアメリカ。
西側諸国のボスとしてのアメリカ。
大戦の実質的に唯一の勝者であり、フランス文化にも大きな影響を与えているアメリカ。

一つの映画で描くには多層的すぎるテーマを、ゴダールは時に隠喩、時に唐突なメッセージの挿入、時に劇中劇など様々な方法で伝えきることに成功している。いっぺんに色々なことをやり過ぎると映画として破綻する危険性を伴う。しかし、これらを語る為の、最も都合のいいフォームである逃走劇というスタイルによって、約100分間の一応の連続性を獲得している。


映画の「分断と再構築」といっても、実際にやるのは並大抵の作業ではない。

映画は歴史上、大衆娯楽として成長してきた。映画の文法とは、上映開始から終了まで観客の興味を持続させる為に培われてきたものだ。
事実、 20世紀初頭に流行したニッケルオデオンは、識字率の低いブルーカラーの労働者でも容易に理解でき楽しめることで重宝された。
映画文法の分断とは、すなわち退屈による映画の支配でもある。

しかし、この映画には一切の退屈がない。退屈どころか映画とは本来こういうものである、と言うが如き剥き出しの映画そのものを、感動をもって我々に教えてくれる。
ハリウッドが映画の中心として、私達の中に知らず知らずのうちに見方を植え込んできたように、ここにもう一つ映画の見方となるべき軸が再定義される。我々はその光景を目の当たりにし、ただただ興奮するしかない。

ゴダール以前、ゴダール以後という言葉があるように、この人物が映画にもたらした影響は計り知れない。スピルバーグというハリウッドでも異質な超人は、ゴダールがいなければ登場しなかったかもしれないとすら個人的には思っている。



ネタバレ↓

マリアンヌを助ける為に走るフェルディナン。現地に到着するも、マリアンヌの姿はすでにない。コーラを飲むギャングに見つかり、フェルディナンはマリアンヌの残した赤いワンピースを使って拷問される。これは、当時の冷戦構造の暗喩であると同時に、あまりにも斬新なアクション映画にも仕上がっている。

三原色を身に纏い自爆するという、あまりにも壮大な結末。泥沼化したベトナム戦争を目の当たりにした、人間という存在に対するゴダールのあまりにも絶望的な認識の表れかもしれない。

しかし、同時にピエロと呼ばれ続けた男が、勢いで余って行ってしまったこの自爆。私生活でのアンナカリーナ との関係に自暴自棄になった、あまりにも小さい男の心境の吐露でもある気がする。

作品に人間味が溢れているところも、ゴダール作品の素晴らしいところだ。
しゃび

しゃび