高度成長期寸前。都市化の進行と無駄の生滅を鋭く捉えている名作映画。
家族の諍いが集合住宅のコミュニティに少しずつ影響する脚本の妙。日本文化が抱えていた無駄の美学がテーマ。
お世話になってないのに、「いつもお世話になってます」と言うことが社会の潤滑油になっている。
翻って、現代人は無駄が少なくなった社会を生きている。隣近所に挨拶することは稀で、どんな人が住んでるか知らないことも多い。
無駄のない社会は確かに便利であるが、そこには失われたものがある。
笠智衆はこう語る。「無駄が風情ってもんじゃないか」
「おはよう、今日も良いお天気ですね」こうした「無駄」に対して作中の子どもたちは疑問を投げかける。
この大人社会に子どもの純粋性が反乱を起こす構図が「火垂るの墓」にそっくりだと思ったら、火垂るの墓の元ネタの一つらしい。
高畑勲監督から火垂るの墓の制作前、本作品を観るように指示があったらしい。
「火垂るの墓」では大人の理論に反抗した結果、子供が無惨に死ぬが、この映画は救いが残されている。
日本的様式美の善悪について、ここではコメントしないが、高度成長期直前に、小津さんが曖昧な時代の空気感をとらえ、映画として成立させているのが本当に凄い。