ナチス・ドイツによって収監されたレジスタンス派の青年の脱走劇。
青年、フォンテーヌ中尉が収容された独房、そこはどのような場所なのか、カメラは主人公の視点で一つ一つ情報を集めていく。
布団とバケツと棚板、それしかない。引きの画で青年を客観視せず、クローズアップの一人称視点で映し出される空間に、孤独と絶望を感じる。
やがて青年は隣人との交信、外との通信手段を習得し、手にしたスプーンに希望を抱く。
限られた時間の中で、隅々まで観察し、あらゆる可能性を検討。地道な努力を重ね、自由への扉を削り続ける青年。
中庭を散歩する囚人や、いつも会話する仲間、隣人や新入りなどの登場人物は、常に主人公が目にする存在。
ブレッソンはプロの俳優を嫌い、出演者たちは、ほぼ素人同然だという。個性豊かなキャラ設定も、感動的な人間ドラマも彼らには不要。
派手なアクションも大きなモーションもない。虚構を作り出す誇張や虚飾は一切排除し、最小限の台詞と抑揚のないモノローグで淡々と「脱獄」を描いている。
リアリズムに拘るブレッソンは、あらゆる無駄を削ぎ落とし、ひたすら青年を捉え続ける。淡々と静かに流れるが、退屈な時間はなかった。
何もしなければ銃殺刑、それも運命だと受け入れる囚人もいる。しかし、青年は抵抗する。脱獄とは自由への希望であり、ナチス・ドイツへの抵抗なのだ。
緊張、焦燥、不安、恐怖が胸に押し寄せる究極の脱走劇だった。