サミュエル・L・ジャクソン氏が好きな人は、この映画が気に入ると思います。悪い人なのだけれどもどこか同情を誘うような、そして非常にクレバーな役どころです。焦点をどこに当てるかで物語の見方が変わるように、この映画において、見方によってはL氏が主人公だともいえるでしょう。
というのも、本作の中で、誰が事実を述べ、誰が虚言を発しているのか、最後になるまでわからないのです。私たちは映画を観るとき、とりあえず登場人物の言葉を、(多少疑いはしても)信じなければ、その本筋を追うことはできません。タランティーノは、それを逆手に取っているのだと思います。
ジャッキー(パム・グリア)は、いわば三枚舌政策をとるわけですが、そのためにはどこかで嘘をつかなくてはなりません。観客は、ジャッキーが嘘をついていることはわかるのですが、誰にどんな嘘をついているのか、最後になるまでわからないのです。それが本作の見どころのひとつなのだと思います。
ジャッキーは、映画の終わりしなに、「私が嘘をついたことがあった?」と言います。もちろんどこかで嘘をついているのですが、観客は最後になるまで、その嘘が本当だと思わざるを得ないのです。その意味で、これまた嘘か本当かわからない言動をするL氏が、本作の主人公だと考える私の見方は間違っているのでしょうか。