ふき

ランボー 最後の戦場のふきのレビュー・感想・評価

ランボー 最後の戦場(2008年製作の映画)
4.5
ランボーシリーズ二〇年振りの四作目。

ベトナム戦争に参加し、アフガン紛争に関わった後に隠居していたランボーが、ビルマでカレン族を虐殺するS.P.D.C(ミャンマー軍事政権)と戦う。舞台は現在の日本で言う「ミャンマー」だが、本作は当時の軍事政権を認めていなかったため、字幕も音声も旧来の「ビルマ」で統一されている。
本作は構造的にも行動的にも、『怒りの脱出』や『怒りのアフガン』に近い。戦争の記憶に苦しんでいるランボーが、外国で捕まった知り合いを助けにいく傍らビルマ軍を殺しまくる。ナタやナイフで人間を切り裂き、銃弾で人間を穴だらけにし、爆発で人間をミンチにする。いつものことだ。

本作が違うのは、描き方だ。徹底的にヒロイズムの中に適度にゴア描写を紛れ込ませていた前二作と違い、本作は徹底的にヒロイズムを排し、リアルな戦場描写に徹している。ランボーがビルマ軍を殺す様は極めて陰惨で、人殺しで何かが解決するようは演出されない。だからスカッとしない。
なぜそんな描き方にしたのか。
二〇年の時を経てランボーシリーズを完結するにあたって、ランボーを本来の姿に戻す必要があったのだろう。ランボーは『怒りの脱出』『怒りのアフガン』とシリーズが進むにつれて、特に海外ではポップアイコン化してきた。シルヴェスター・スタローン氏は大衆に応えるべく、ランボーの人間的な内面描写を希薄にし、痛快アクションシリーズとしての機能を強めていった。しかし一作目の『ランボー』を含めたシリーズの完結するには、ランボーの本質に立ち返らなければならないのだ。

そのために手始めに、「ランボーが過去作をどう位置付けているか」が描かれる。『怒りの脱出』『怒りのアフガン』で我々観客がランボーの活躍に手を叩いて喜び、アメリカ国民が「強いアメリカ!」「今度は勝つ!」と力付けられる一方、ランボーは人殺しの記憶がフラッシュバックする程に苦しんでいるのだ。これは一作目の『ランボー』で描かれたベトナム戦争の記憶のフラッシュバックと同じで、ベトナム帰還兵の苦しみを無視して非難を続けるアメリカ国民の構図とも同じだ。
さらにこのフラッシュバックは、『怒りの脱出』『怒りのアフガン』で与えられた救済が、逆に彼を苦しめていることも表している。トラウトマン大佐が言う通り、ランボーには暴力しかないのかもしれないが、『怒りのアフガン』で救ったムジャーヒディーンが、のちにターリバーンやアル=カイーダを産み出して中東を混沌に陥れ、9.11を起こしたのだと考えれば、彼の暴力はまた別の暴力を産んでしまった。フラッシュバック願望とも思える「トラウトマン大佐に射殺される自分」までが入る辺り、彼の絶望感や無力感は想像を絶するだろう。
(フラッシュバックに関しては、九九分のエクステンデッド・バージョンは更に多くのシーンで使われ、ランボーの内面をがっちりと補強している)

そんな状態のランボーが最終的にどうなるのかは、見てくれと言いたい。
一つ言えるのは、本作はいわゆる「筋肉バカアクション映画」ではない。前述の通り、構造的には『怒りの脱出』や『怒りのアフガン』と同じだが、全体的なテイストは『ランボー』に近い。冒頭に『ランボー』の主題歌だった『It's a Long Road』のインストを流し、エンディングのシークエンスが“あれ”であることも含め、ランボーシリーズの完結としては申し分ない出来だと思う。
また、もし本作を見て「こんなスカッとしないのランボーじゃないよ」と思った方は、ぜひ一作目の『ランボー』を見て欲しい。人殺しの記憶に苦しみ、終わらない戦いに身を置く男の姿を見れば、本作のランボーが間違いなく本物だと実感できるし、冒頭の発言とあのラストショットに涙せずにはいられなくなるはずだ。
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