桃色

スタンドアップの桃色のレビュー・感想・評価

スタンドアップ(2005年製作の映画)
2.5
2008年以前に書いたブログ(もうとっくに閉鎖)からの転載。
自分用に記録として。当時は今より辛口!

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監督: ニキ・カーロ
出演: シャーリーズ・セロン、フランシス・マクドーマンド、ショーン・ビーン、ウディ・ハレルソン、シシー・スペイセク
原題: NORTH COUNTRY
制作: 2005 アメリカ

最初に言ってしまえば、私には女性が立ち上がる映画には見えなかったということ。
さて前半はもう道も歩けばいやなことがごろごろ転がってるごとくやりきれません。背景説明ですし話を動かす源だといえばそうなんでしょうけど、あそこまで「アホ」な男たちに我慢した後の復讐はもっともっとやっちゃってほしい感じでしたね。まあ、彼女が我慢した背景にはここにもやっぱり母の辛抱があるわけです。最初、その母としてもまだまだ幼稚で、DVの旦那さんから逃れ育った地元の偏見の中で、最底辺の視点からやっと少しばかり世間を知り始めたところ。それが打ち出の小槌を振るわれた一寸法師のように大きく育っていくんですね。要するに荒波が大きくしてくれるんです。自助というよりはしかたなくって感じ。でも、生きることに必死さはあるから応援したくなる気持ちは沸きますが共感ということまではいかない。うん、あの町の1傍観者のごとくただ見つめてるような感じでした。それは彼女の決断が私には解決の方法だとは思わないからかも知れません。子供を巻き添えにする環境は彼女の意に反したものだったとは思うけどそうなったときの判断はまだほかにあったような気がするから。

原題が「NORTH COUNTRY」と倉本聰氏のドラマのような題名を邦題「スタンドアップ」にしたのかしら? もちろん立ち上がって歩き出すこの女性ジョージィのことだと思いますよね。だけど彼女のことじゃんなかったんですねぇ(彼女のことも掛け合わせてるのだとは思いますけど)それは、冴えない(見栄えのです)友人弁護士の最後の台詞。結局は男性の台詞なんですよ。ネタバレになるのでこの辺にしておきますが、彼女を立ち上がらせるためにこの友人(恋人じゃないのね)弁護士や集団訴訟を段取ってくれた判事さんとかが居なければどうにもならなかった。そういう意味では彼女はただの駒という感じもしてしまいます。そう、母という存在だけど社会的には世間知らずのままだったんですから。

さて、もう一つこの映画に期待していた「胸のすくような」は残念ながらこれも彼女が与えてくれたものではありませんでした。猿芝居のような労働集会で彼女は名を名乗って発言します。「私の名前はジョージィ・ジェームスです(直訳)」と。私はここでたどたどしい発言の末きっとキメ言葉をいうんだろうってなんだか期待しすぎていました。しかし結局、気持ちよかったのはここでのパパじゃないですか。 それまで彼女のことを振り向いてもくれないような冷たそうな人がですよ、その人が言ってくれた言葉。あの時ギィ~って大きな傾きが反対方向へと動き出した感じがはっきりしましたよ。ここから、はい、私は面白くなってきたんですね。
法廷ものというほど巧みな話術合戦で見せてくれるわけではありませんが、それでも観衆を巻き込んでのジャッジが始まって展開していくのだろうと… しかし、まあ結果はアメリカ人なら周知の事実なんでしょうけど。その結末はただテロップで紹介されてそしてタイトルロール。

ここに登場する男性陣、そして女性陣もやっぱり昔の世界の人間です。だけど偏見や差別が今の時代だって無くなったわけではないでしょう? そもそもジェンダーフリーを小学校でも習う時代ですがわざわざ唱えなければならないベースにはまだまだその偏見があるからですものね。
さて、この映画で一番救われたのは大勢の中で身動きのとれなかった良心を持っている人たちね。彼らはこの事件で彼女を養護することで自尊心は救われたのでは。

「力もない。自信もない。味方もいない。それでも立ち上がってみようと思った」この(プロモ)コピーは酷い勘違いだよ。ちゃっかり彼女は社長というジョーカーを持ってる自信があって立ち上がって結果は使えないジョーカーと知るわけですよ。まあ、これが実話を扱う限界かと思うけど。実話だけじゃ話が詰まらなくなってしまう。女性が描く映画ならもっと女性を脚色しても良かったかなと感じます。これじゃ彼女の取った行動が勇気なのかおバカな衝動なのか解らなくなりませんか?
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