「泣いたらいい人なんかなあ?そんなんあてにならんやろ?」
あぁ家族。家族ってなんなんだろう。
考えても分からない。
なぜ結婚するんだろう?
なぜ赤の他人と一つ屋根の下で暮らすのだろう。この映画は答えの一つなのだろうか?
邦画の良さを心から体感した映画だった。
自分の生まれた1990年代特有の時代が放つ香りにも痺れた。
お金も、家族も、テレビも、宗教も、なにもかもの規範が壊れ、どれも幸せをもたらしてくれるとは限らなくなった時代。
「わたし、ちゃんとしたいの!」と叫ぶ妻をあざ笑うかのように、世間や身の回りは狂っていく。
子どもを本当に欲している家には
子どもは授からず、子どもを欲していない家に子どもができ、そして虐待されたりする。
無事に育ったとしても、赤の他人に惨殺されたりする。
行動原理はまるで分からない。
それでも生きていかねばならず、ついに妻は狂ってしまう。
そんな妻に、
リリーフランキー 演じる夫は泣きもせず、喚きもせず、そっと寄り添う。
だが、それに対しても妻は不安になり、
「私が死んだ時、泣いてくれる?」と問う。
だが、泣くからといって、人間は悲しいわけではない。
葬式や人が死んだ時に泣くのはそこで「自分を納得させるため」だと夫は言う。
そして、妻に寄り添い、好きだから側にいたい。とそっと呼びかける。
そして、夫婦は死んだような日々から台風一過のように、晴れたそして生きた毎日を一歩一歩踏みしめ生きていくようになる。
自分を愛してくれる人がいるだけで、それだけで人は救われるのだろうか?