ウシュアイア

告白のウシュアイアのレビュー・感想・評価

告白(2010年製作の映画)
3.9
[あらすじ]
終業式のHRでシングルマザーの教師森口悠子は,警察により事故死とされた娘の死の真相,教え子2人に殺されたことを生徒たちに告白し,その二人が飲んでいた牛乳にHIV患者の血液を混ぜたと言い,教壇を去る。二人の生徒は追い詰められ,破滅の道へと進んでいく。


[感想]
原作を先に読んだが,原作は5人の登場人物の告白(語り)で進んでいるため,あくまでも語っている登場人物の視点でしか物事はわからず,告白には虚勢や思い込みも入っているため,2人目,3人目の告白へと読み進めていかないと一つ一つの事柄をとらえるのが難しくなっている。

一方,映画は過去の回想をはさみつつ基本的には時系列に沿う形で進んでいくため,複数の登場人物の言い分から事件が見えてくる,という面白さは失われしまっているものの,森口の告白のシーンでの生徒の反応など,原作ではとらえにくい部分がわかるという面白さがあり,これはこれでいいと思う。

映画の出来はともかく,賛否が分かれるのが,原作というかストーリーのプロットであろう。

HIV患者の血液を牛乳に混ぜた,生徒を使って娘を殺した二人を追い詰める,そのあたりが,強くモラルに反するところであるために,否定的な見方がなされているのだろう。

あくまでも,フィクションであるため,あるメッセージを伝えるとために,現実では法やモラルに反する行為を描くことはいくらでもあるわけで,森口先生のやったことは悪いこと,となっていれば問題はない。

しかし,森口先生がやったことが罰せられることが明示されずに終わっているところが問題なのではないか。

しかし,HIV患者の血液を使って,憎い人間をHIVに感染させようとする,あるいはそうした試みにより,パニックに陥れる,というのはさすがにHIV患者の血液を凶器として扱っており,患者団体から抗議が出てもおかしくないため,どうかと思う。

さてこの作品のメッセージであるが,どうしたら,犯罪被害者が救われるか,ということだろう。

法による処罰が,犯罪被害者を救済しないのは,現実にもフィクションでも問題にされることだが,この作品では,殺人による犯罪被害者の救済には,命の重みを感じとって,残された者の苦しみが分かり心から自分の犯した罪を反省すること,とはっきり示されている。

同時に,現在の法の枠組み,特に少年の犯罪に対しては,従来の処分では,ほとんど反省に至らない,としている。では,重い罪を犯した少年を反省「させる」にはどうしたらよいのか,ということでこの作品が送り出されたのだろう。

あらためて,キャッチコピーを見ると,「娘を殺された女教師の、 命の授業がはじまる。」となっていて,こんな反社会的行為のどこが教育なのか、という指摘もあるが,本当の意味で森口先生が被害者として救済するということと,犯人の真の反省と更生がイコールであるから,方法はともあれ,教育となるのである。

バトルロワイヤルみたいなものだ。

ちょっとセンセーショナルになりすぎていて,
本質が見えなくなっている気がする。
(2010年6月18日)
ウシュアイア

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