「ぼくは南極なぞ行ったのだろうか?」
日常と非日常。
非日常も慣れれば日常になるし、
日常も離れていれば非日常になる。
日常と非日常が入れ替わって、また戻る。
戻った毎日に慣れると、元々入れ替わった事実なんてなかったのではないか、と感じる。
「照り焼きバーガーがうまっ!」
非日常の肌感覚は失われても、真実は体に刻み込まれている。
慣れきっているけれど、大切な日常がある。その気持ちだけは常に抱いていたい。
沖田修一監督は日常を切り取るのが上手だ。けど、決して適切な描き方をする人ではないと思う。
まず、カットが長い。
こっちは10秒くらいの肌感覚で見てるのに、30秒くらいやる。1分だと思ったら3分やる。
掴みが大切だと言われる。
でも沖田監督はいちいち掴みが退屈だ。
また、切り取り方も父性に偏っている。
もうこの映画に至っては、クローズくらいに男目線の映画だ。
人を描こうとすれば偏りが起きる。
公平な描き方をしていそうな映画は大抵、人ではなく社会を描いている。
ぼくは人の映画が好きだ。