ひたる

12人の優しい日本人のひたるのネタバレレビュー・内容・結末

12人の優しい日本人(1991年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

「十二人の怒れる男」が人生トップレベルに面白かったため、日本版パロディ作品のこちらも鑑賞。すっっっっっごいイライラさせられたけど面白かった。悔しい。

議論の様子は身に覚えがありすぎる。対立を善しとしない日本人の美徳がすべて悪い方向に作用している。この再現が的確だからこそ過度なストレスでどうにかなりそうだった。かといってブレインストーミングといった否定をしない無制限のアイデア出しが向いているのかといったら疑問が残る。なぜなら彼らは他人の目を気にしすぎるからだ。極論でもこの場は誰も咎めないのに、この発言は人間性を疑われるだろうか、などといらぬ算盤を胸の内で弾く。じゃあ最初に「極論なんですけど」って断りを入れればいいじゃないか!!これは実体験である。なお私もこのアカウントにおいて、そういった断りをプロフィール欄に記している。これで何を書いても誰も私を責められない。もちろん嫌いな際は理由をできるだけ詳細に言語化することを心掛けている。

閑話休題。今作は「有罪→無罪」と逆転するパロディ元と異なり、「無罪→有罪→無罪」と結論が行ったり来たりする。この定まらなさが、流されやすい日本人特有のものだと考えられる。そして両者で明確な違いが出たのは目線だ。前者は例え根拠がなくとも目線は決して逸らさず真っ向から対立するのに対し、後者は目線を向けられるとすぐにそっぽを向いたり、判断が揺らいだりする。これでは議論の足場が出来上がっていないも同然だ。議題は有罪無罪どちらにも取れる状況で最後まで結末が予想できず楽しめた。ピザのサイズ感や「ジンジャエール」にも納得がいった。

証言者のお喋りおばちゃんに向けられるヘイトの高さもわかる。笑いどころの1つとして軽く扱われていたが、無責任な証言は現実問題、かなりの誤解や疑惑を引き起こし冤罪を助長する。今作では証言者が1人だったが、これが集団でいた場合「思い込み」×「流されやすさ」という負の相乗効果が事実を歪めかねない。
YouTubeでショートドラマを投稿している「こねこフィルム」の痴漢冤罪を題材にした作品がこれの最悪な例だろう。
「電車内で読書をしていると隣で眠っている女性が腕に倒れ込んできた。頭を支えて戻してやると女性は撫でられたと勘違いして痴漢を訴える。それを聞いた周囲の人々は彼女を被害者だと思い込み、男性の言い分は聞こうともしない。拘束された男性が理不尽だと声を荒らげると女性は泣き出し、周囲は完全に女性の味方となる。」
これでは何を言っても男性側の主張は言い訳として退けられる。これ以上の理不尽はないだろう。間接的に事態を把握した人々は最悪のケースを想定はすれど、片一方の意見を鵜呑みにすべきではない。

「12人の優しい日本人」というタイトルは、決して好意的な意味ではなく皮肉って付けられたものだろう。
ひたる

ひたる