開明獣

ストーカーの開明獣のレビュー・感想・評価

ストーカー(1979年製作の映画)
5.0
先日物故された大江健三郎氏は、本編の原作者であり、脚本も務めたストルガツキー兄弟を高く評価していて、御自分の作品の中でも触れておられた。ロシアの名匠アレクセイ・ゲルマン監督の遺作、「神々のたそがれ」も、ストルガツキー兄弟の小説が原作だ。その乾いた世界観と奇特な発想力は現代文学の中でもっとも過小評価されている作家の一人と言えるかもしれない。

「惑星ソラリス」での原作からの大改変で、原作者のスタニスワフ・レムと大きく揉めて懲りたのであろう、今回は原作者のストルガツキー兄弟を脚本に迎えている。本作は、タルコフスキー自身の思想の表出も勿論あろうが、ストルガツキー兄弟の考え方の影響は相当大きいことは無視できない。

異星人が地球に残していったゾーンと呼ばれる境界、あるいは地域はなんのためにあるのか、何をもたらしてくれるのかは、人智では把握出来ない。そのゾーンの探索者をストーカーと呼ぶ。本作は、ストーカーの1人が、ゾーン訪問を希望する作家と教授を連れていくお話し。

原作とは大きく設定、登場人物、物語の展開が違うが、根底に流れる、「我々には伺いしれぬ高次の存在は不可侵で神聖なるもの」というのは通底して変わらない。

本作をイデオロギーに絡めての思想的な発露と考えることも勿論可能だが、それよりも、唯物論では解き明かせない神秘的な何者かの存在の美を語りたかったように思われる。

ヘミングウェイを愛し、パリに不必要な亡命をしてまで西側を信奉し愛しつつも、ロシア的なものへのノスタルジーを捨てきれなかったタルコフスキー。本作は、ドストエフスキーの名著「カラマーゾフの兄弟」の中の「大審問官」の章に似ている。ドストエフスキーはここで逆説的に自らの信念である信仰の尊さを語っていくのだが、タルコフスキー&ストルガツキー兄弟も、ゾーンというのを、ある種の神の如きもの、即ち、人には伺いしれない何かとして見ているのではないか?

奇跡を起こし、道を誤れば死へと誘うもの。それはまさに、神の如き高次の存在に他ならない。ゾーンを犯し破壊しようとする異端のものたちは、「カラマーゾフの兄弟」の中の大審問官であり、ストーカー自身は信徒であり、ゾーンはイエス・キリストの形を変えた顕現ともとれよう。

だが、「カラマーゾフの兄弟」とは違い、本作ではあくまで高次の存在かは何なのかは露呈しない。その神秘性こそが、本作でのタルコフスキーの映像美の真髄なのではないだろうか。

ゾーンを恐れる心は、結局、ゾーンを理解することは出来ないからだ。だからこそ、理解の及ぶ人間同士の絆や関係値を尊んでいるのかもしれない。

タルコフスキー&ストルガツキー兄弟にとって、東西イデオロギーなどという表面的なものよりも、人間存在の根幹と、その根幹を明らかにしてくれる異世界のような存在を描きたかったようにも思える。

重層的な構造と、ロシアの土着的なムッとするような廃墟の臭気が漂ってくるような映像を観ると、我々の意識はゾーンのような異世界を漂うようだ。
開明獣

開明獣