Masato

海と毒薬のMasatoのレビュー・感想・評価

海と毒薬(1986年製作の映画)
3.8

死ぬことが決まっていても、殺す権利は誰にもない。

熊井啓監督による社会派ドラマ。実際に起きたアメリカ軍捕虜の生体解剖を行った事件を基に遠藤周作が著作。それを映画化。

熊井監督ならではのダークでホラーのようなオドロオドロしさを持ち合わせたドラマ。社会派と謳われているが、遠藤周作が原作ということもあってか社会派よりも人間がその行為を行うことによる心情の変化をまざまざと描き出した人間ドラマに近い印象。
なので、生体解剖というものを主として鑑賞してみると、やや退屈気味に感じられるかもしれない。

死と隣合わせだった太平洋戦争と他者の死を当然にも見てきた病院という2つの狂気の世界によって、人間の尊厳が失われていく過程が描き出される。

一人は志の高い心優しき青年(奥田瑛二)。死というものが当たり前になり、周囲が死に対する尊厳を失っていくことに疑問を持つが、苦悩し考えることが苦しくなった結果、その脆い心は壊れてもぬけの殻のような人間になってしまい盲従してしまう。

もう一人は既に良心を失っている青年(渡辺謙)。死というものに対して何の感情も抱かなくなった自分に疑問を持ち、ひたすらに自身の感情を探っていくが、結局は大義のためと言い訳をしながらただ従っていく。

狂気の世界で働き何が当たり前かも分からなくなり、心が完全に疲弊しきって何も感じず、何も抵抗できなくなった人間たちの恐るべき愚行。遠藤周作は本作品を「神なき日本人の罪意識」とテーマしたそうだが、まさにその通りだった。神という名の道徳の監視の目、ある種の超常的な存在による道徳心が存在しない故に、常識の通用しない狂った環境にいると、歯止めが効かずに狂っていく。

社会的な監視の目しか感じないなら、それは社会が軸となり、社会が敵の人間をどうにでもして良いと思えば出来てしまう。社会というのは絶えず良い方にも悪い方にも変化していくもので、それでは人間は本当の善を確保できない。だからこそ、普遍的な道徳心を必要としなければならない。それは宗教でも道徳教育でもどんな手段であっても必要。それが失われてしまうと本作品における軍人のようになってしまう。

これは、ナチスが行ったホロコーストでも同様。ハンナ・アーレントが提唱したアイヒマンの愚行から名付けられた「凡庸な悪」。今ある環境に囚われず、思考を停止しないこと。常に考え、常に疑うこと。そうしないと悲惨な出来事に知らずしらずに加担していることになる。

何か人としての大切なものを失ってしまったと一部の人間たちが感じるシーンが最後にある。その時だけ、狂気の世界から逸脱できたように思えたが…。

ここまでのことをして、朝鮮戦争ののちに恩赦になったって…どこまでも酷すぎる話。当時戦意高揚を目的とした食人事件もあったし…人間はここまで恐ろしくなれるものなのか。

凡庸な悪が生まれてしまう環境下は戦争や医療現場だけでなく、あらゆる環境においても本当に良くないが、この社会である限り必然的に生まれてしまうものでもある。だからこそ、自分という自分を持たなければならないと改めて感じる物語だった。ドイツの奥さんヒルダのセリフがすべてを要約してくれている。

日本人は日本人で気付くこともあるけど、それよりもキリスト教圏の人間がみるとより気付けることが多くありそう。


禁忌の領域に人が踏み込むことの悍ましさをまるでホラーのように演出することで圧倒的な「罪悪」を感じさせる残酷な演出がすごかった。実際の人血を使った手術シーンも圧倒的なリアル。いままで幾多の手術シーンを見てきたが、ここまでに鬼気迫るものは無かった。史上最高の手術シーン。
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