Cisaraghi

ゲット・ラウド ジ・エッジ、ジミー・ペイジ、ジャック・ホワイト×ライフ×ギターのCisaraghiのレビュー・感想・評価

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この時ジミーペイジ64歳。年を取っても優雅さを保ち、ジェントルで美しいジミーなのである。若い頃は美しすぎて遥かに遠い存在だったけれど、年老いた分人間らしさが増して以前より親しみやすく感じられる。エッジは、同じく大成功したロックスターといっても、ジミーペイジとは全くタイプの違う人間のようで、この二人はもしかすると反りが合わないのでは?と余計な懸念を抱いた。でも仮にそうだとしても、二人がこの映画のために接触する機会を持ったことは貴重だと言えると思う。やや硬さのある贅沢な二人の出会いを少しハラハラしながら楽しんだ。ジャックホワイトの音楽的な立ち位置はよくわからないが、音楽的にも人間的にもタイプが違う英国人とアイルランド人二人の間に入って、緊張を和らげるアメリカ人マンネの役割を果たしていたようにも感じた。

ジャック・ホワイトのデトロイト、エッジのダブリンのかつての社会状況が興味深かった。ヒップホップやハウス全盛でDJやラッパーが大人気、ロックやブルース、楽器を弾くことはダサイと嫌われ、ギターを売る店もレコードを売る店もなかったという80年代後半の斜陽の街デトロイト南西部。モータウンが自動車産業全盛期のデトロイトの繁栄から生まれたことを考えると隔世の感がある。そして、深刻な不況の真っ只中にあり、IRAによるテロが頻発していた不穏な70年代のアイルランド。こちらは逆に今の平穏が嘘のようだ。

しかし、何といっても一番興味深かったのはジミーペイジのパート。“ When the Levee Breaks ” を録音した館へドリー・グランジ、部屋の壁一面にCD・レコードが収納されている羨ましいお宅で、古いレコード、リンク・レイの『ランブル』を嬉しそうに聴くジミーペイジ。後輩二人が目を輝かせる “ Whole Lotta Love ” のリフ。特典映像のアコースティックギターで弾く変則リズム且つカシミール的国籍不明感のある曲は、ツェッペリンの新曲かのようだった。

“In My Time of Dying ”のギターセッションはこの映画の醍醐味部分、三者三様のギターの音色と表現の個性がよく表れていて素晴らしかった。最後に3人で “ The Weight ”を弾くという情報がこの映画を観るきっかけになったが、こちらは若干二人の歌が苦しかったかなと。ジミーペイジが I can't sing と言いながら、ほんの少しだけハモるのが貴重。それにしても、ジミーペイジと “ The Weight ”、ジミーペイジとザ・バンドというのは意外な組み合わせで、なぜ選曲が “ The Weight ”だったのか、それが知りたい。

ロックの高みに上り詰めたツェッペリンが突然の解散を余儀なくされてから40年以上、ジミーペイジは長いポストZEPの時間をどんな風に生きてきたのだろう。そのことが知りたくなった。
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