Kuuta

汚名のKuutaのレビュー・感想・評価

汚名(1946年製作の映画)
4.1
大変面白かった。未見の人にはなんのこっちゃという怪文書になっていると思うが、自分のメモとして。

あらすじ。アリシア(イングリッド・バーグマン)にナチス残党の内情を捜査させようと、FBIはセバスチャン(クロード・レインズ)と彼女を偽装結婚させる。だが彼女は、サポート役のFBI捜査官デブリン(ケーリー・グラント)と恋仲になってしまい…。

・スパイ潜入ものの形式を取りつつ、「男女の仲がバレるかバレないか」サスペンスでもあり、むしろヒッチコックの力点はそこに置かれている。長々とキス出来ないヘイズコードをどう突破しながらキスを描くか、工夫が凝らされているのもそうだし、2人の「合わせてはならない」目線の演出が非常に丁寧。

・黒い影として登場するグラント。FBIの身分を隠してバーグマンと会話する冒頭は、切り返し+ミドルショットで目線を合わせる。
グラントに興味津々のバーグマンの顔を単独で捉えるとき、彼女の顔はグラントと重なるような角度で接近するが、グラント側に切り返すと、彼はバーグマンの顔と一定の距離を保ち、冷静に彼女の勢いをかわしている。普通のコミュニケーションを「取り繕っている」段階。

だが、白いミルクでバーグマンが目覚め(コーヒーで眠らされる終盤の伏線)、グラントが体の「1回転」と共に正体を明かして以降、彼らはまともに目線を合わせなくなる。

残りの約1時間半もの間、恋愛ものなのにミドルショットでも切り返しでも「見つめ合う」場面はほぼゼロ。あったとしてもほんの一瞬に限定されている。ミッション遂行のためには、2人が恋仲になってはいけない事が前提となるからだ。

会話は以下の形で描かれる。
・2人を同じ画角に入れるミドルショット、片方が相手を見る時、もう片方は視線を外す。バーグマンが見つめているが、グラントは横顔しか見えず視線が「判然としない」という場面も。
・単独のアップでも相手を見ないで目線を下げたり上げたり。

→目線を合わせないまま愛し合うという試み。結果として、最も密なコミュニケーションは「顔」を使って行われる。片方の鼻が相手の顔をかすめる、くっつく、離れる。物理的にエロい。塩田明彦が「ヒッチコックは顔を『物』として撮る」と指摘していた通りだなと思った。

・バーグマンが、レインズと結婚することをFBI捜査官に報告する場面。彼女は上司と話しつつ目線はグラントに向けている。周りの人間はそれに気付かない。これが違和感なく描けるのは映画ならでは。

・レインズと母親の関係は、バーグマンとグラントと同じ演出で描かれている。レインズがバーグマンと結婚したい旨を母に告げるシーン。親子はベッドの天蓋の枠で区切られている。レインズはベッドを回り込み、横顔しか見せない母親に近づくが、カメラも母親側に移動するため、天蓋による断絶が維持される。母親の肩越しショット(会話の入り口)を模した構図が取られるものの、息子側からの切り返しは全く入らないため、母親の表情や目線が見えない状態が続く。

・視界を奪う酒と、視界を切り開く鍵。バーグマンの仕事は酒を飲みながらナチスの顔を覚えること。俯瞰から手元の鍵にカメラが寄り続けるシーンに痺れる。ドアが開く冒頭の対として、ラストでドアが閉じられ、死を連想させる。
映画術でヒッチコックは「セリフはBGMに過ぎない」的な事を言っていたが、今作も物や顔が内心を描き続けている。セリフは聞き流し気味であっても、画面に集中していた分、内容理解にはほぼ支障なかった。
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