まりぃくりすてぃ

そして僕は恋をするのまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

そして僕は恋をする(1996年製作の映画)
1.0
HB2Yのつもりで誘ったら「日曜の朝からフランスの恋愛映画3時間物なんて、やな予感。ゴメン。暇じゃないし」と友人に一蹴され、赤道直下並み狂暑の午前、脱毛直後肌みたく真っ白くテカる渋谷の日向の小道を独りせかせかぽたぽた(←汗)歩いてラブホ街のはずれの劇場で鑑賞。
で、予言当たってくれちゃったその友に、こんな感じにSMS。
「シネマピョンラに辿り着いたら、日曜なのにお客が私以外一人もいなくて、受付のおばさんが『だって全然つまらない作品だから』って入場料受け渡した後に不吉を超えることボソッと言ってくれて、中入ったら、本当に私一人以外いなかった! 一人きりで3時間座ってるなんていくら何でも落ち着かなさすぎだから、天井にロープかけて、首吊り自殺しながら観たよ! そしてね、やっぱりつまんなかった。猿の死体シーンだけはまあまあだったけど。35才以下(特に女性)はつくづく映画館には来るもんじゃないね。駄作にあたったら、人生の中のかけがえのない数時間が確実にただ消える。ゆうべ私の見た夢のが兆倍おもしろかったよ。(以下、少し夢の話。略)」
友から「もう映画観るのやめたら?」とお見舞い文がその後あり。私は「とりあえずフランス映画は観ない」と再返信。




配役失敗。
主演男優マチュー・アマルリックは、舞台上の奇術師か手品師みたいなニヤニヤ顔でしか演技できない。本人は精一杯、そんな顔や仕草で活躍しまくってるつもりふう。こういう不器用くんは、もっとはるかに寡黙な役(例えば、東欧の労働者映画とか、南欧だったら犯罪者映画とか)しか適さないのに、いきなりスラスラスラスラ語りまくっての浅文学脚本に乗っけられる。そしてニヤニヤニヤニヤ見つめてみせるだけ。仮にグザヴィエ・ドランみたいに一言一言にキレとエモーションとみずみずしさまで天才肌的に込められる人がこの役やったらどうなってただろ。
女優たちも、一人を除けば図体ばかり大きくて、意表突くためには突然脱ぎするしかないところが邪魔悲しい。気持ちの込もってないピンナップガールズ。
要素一つ一つはまあどうでもいい。映画自体に中身ない。必然性ない。必要性ない。身近っぽさない。遠大さもない。哲学がどうしたって? フッ。『純粋理性批判』の原書をあまりの難しさに涙流しながら読み、とにかく日常あらゆる硬い書を読んで読んで読まされるのが、哲学選んだ若者の姿なのにね(これ常識。映画の中にそういう学府リアリティーあった?)。それに、男と女がくちゃくちゃくちゃくちゃやりあえば恋愛映画になるかもなんて、作り方が呑気すぎる。
全台詞中、「同時に振るか?」の男会話と、あと「あなたが死んだの!」という女の号泣が、かろうじて好ましく頭に残った。が、「私が死んだの!」と言い返してやりたくもなった。何せ首吊り自殺完了後の私が今これ書いてるんだから。

たかがペタペタ話のくせに、Waltz For Debby の無造作な使い方(ジャズの名曲中の名曲へのぶら下がり方)が恥ずかしかった。何を狙ってそれ挿入したのか無効果な上に意味不明。
曲といえば、、、、20世紀最高の作曲家だったブライアン・ウィルソンが全盛期に作った小曲 Don`t Talk の原曲を、作り立てホヤホヤの時にブライアンの弾き語りで最初に個人的に聴かされた弟デニス・ウィルソンは、曲のあまりの美しさに感極まって大泣きしちゃったという。その Don`t Talk の重く遅く甘い狂ったメロディーが、この映画の前半からずっとずーーーーーーっと私の耳奥に響いてた。あまりにもムダにつべこべ喋りすぎな映画だから。ゴダールほどの文才もないくせに。

甘、といえば、、、、本当の恋愛映画は、例えばマカロンみたいな空疎なマズ菓子とは違って、もっとちゃんと、生シューがそうであるように、逃げも隠れもしない“ケーキの中のケーキ”といえる充実物であるはず。みんながケーキに求めるケーキらしさって、結局、カスタードよりもシルキースポンジよりもメレンゲよりもショコラ関係よりも果物よりもシブーストボンブみたいな工夫品よりも(それらがどんなにおいしいとしても)、まずはふわふわコッテリな「生クリーム」でしょ? 恋愛映画の本質って、みんながストレートに好む生クリームと同じ。カッコばかりつけて「うちのマカロンはいいでしょ」とか言われてもね。どうもトリュフォーとかこのデプレシャンは、、、、正道走ってるつもりで肝心なことから逃げてるんだ。
本当に魅力的な恋愛映画かどうか。一つにはそれは「命そのものや全人生が懸かってるかどうか」だ。妊娠すれば即、多かれ少なかれ女(と腹の子)は本当に命懸けになるんだからね。単に男と女が何かいろいろを繰り広げればいいんじゃない。嘘のつけないシュウ・ア・ラ・クレムという食品を、パティシエの道を見習いなさい。
『街の灯』『ローマの休日』『シェルブールの雨傘』。好き嫌いは人それぞれだけど、映画論的にはこれらは真に恋愛映画であり、人の心の真ん真ん中を揺さぶる。本作のように、いささかもキュンキュンできないただのケモノ映画(しかもダラダラ)を、人は恋愛映画とはゼッタイ呼ばない。冗談じゃない。

より正確にいえば、恋愛映画の定義は「この自分も、恋愛に命を懸けてみたい、って思わせてくれる映画」だ。。。。