前方後円墳

ツィゴイネルワイゼンの前方後円墳のレビュー・感想・評価

ツィゴイネルワイゼン(1980年製作の映画)
5.0
大正三部作第一弾。内田百閒原作『サラサーテの盤』を映画化。
ツィゴイネルワイゼンとはヴァイオリニストで作曲家のパブロ・デ・サラサーテの曲で、"ジプシーの歌"と意味になる。まるで、劇中で放浪を続ける中砂(原田芳雄)の歌のようだ。で、中砂と青地(藤田敏八)がこの曲の途中でサラサーテの声が入っているが、何を言っているのかがわかわないというやりとりから物語が始まる。この二人とそれぞれの妻である園、小稲(大谷直子=二役)、周子(大楠道代)の5人を中心にして不可思議な映像空間に浸ることになる。

鈴木監督曰く、これは怪奇映画で理屈で観るようなものではないとのこと。確かに夢と現実か判別がつかないような映像世界が繰り広げられるので、ロジカルに展開を追うようなものではない。怪奇といっても、お化けが出てきて、ギャーというような代物ではない。人間の根底にある欲望を軸にして、生と死に惑う人々の奇怪な逢瀬が見ものだ。
そして、映像に映される一つ一つのが欲の顕示のように個性を主張してくる。風景、衣装の個性、役者の個性のそれぞれが印象的に立ち現れ、お互いが相乗効果をもって、作品の吸引力を倍増させている。その物語の中でわけがわからないままに進み、その狂気ともいえる映像とそこから滲み出る美しさが作品全体に広がっている。劇中で周子が果物は腐る直前がおいしいというようなことを言って、水蜜桃を食べるシーンがあるが、この作品にはその腐りかかった、人間の感覚に危ういものを持っている。その旨みと香りが充満していると言ってもいい。

物語の中で、中砂が歩けば死人が出るではないが、彼の周りには"死"が付きまとう。で、彼自身も薬物中毒で死んでしまったということになるのだが、このあたりから、さらに不可解な展開となる。映像はどんどんイメージというか、感覚的なものが挿入されるようになり、現実と思われるものと、夢と思われるようなエピソードが重なり、溶け合うように展開される。しかし、これは現実と夢というよりも、生と死の重なり合いのようだ。中砂が生きているか、死んでいるかというようなことではなく、中砂が欲したものが、生の世界にあるのか、死の世界にあるのか、それぞれを行ったりきたりしているような感じだ。それにあわせて、周りの登場人物たちも同じように行ったりきたりしている。作品中盤で中砂は小稲と出会い、彼の弟の骨が桜色だった話を聞いてから、人間の骨に執着するようになるのだが、これはすでに彼は肉体ではなく、その残された骨(抜け殻)に言いようのない、危うい旨みを知ってしまったのだろう。そしてその旨みを鑑賞者も知ってしまうような作品なのだ。