金城武演じる唖の青年モウとエージェントの女ミシェルの二人が出会う場面は、映画のなかでたった二度しかない。
青年は安ホテルの管理人の息子で、女はそこの宿泊客。
青年は警察に追われている。
深夜に人の店を勝手に開けて営業しているからだ。
ホテルへやってくる捜査員。女は廊下ですれ違いざま尋問されるが知らないと答え、キャメラはそのまま廊下から共同洗濯場までの女のバックを長回しで追っていく、女は洗濯機を起動させながら、「警察が来ているからしばらく隠れていて」直後、キャメラは女の背後の掃除用品を収納してあるらしい扉へクローズアップする、扉が勢いよく開かれ、中から、しゃがんで煙草をふかしていた蓬髪の青年が現れる。そんなとこでシガレットをやっていたもんだから煙が、窮屈な縦長の室内に充満している。青年は煙たそうに手をはためかせ、吸殻を投げ捨ててまた扉を閉める。
この後、最後まで二人は出会わない。
にも拘らず、私がこの二人のシーンを忘れられないのは、金城の登場から、二人でオートバイに乗って夜の街に消えていくラストシーンに到る、二つのシーン(正確には食堂のシーンも合わせて三シーン)に効果的に使われている煙草のためである。
二人の出会いと別れは、映画のなかで、煙草によって説明される。煙草のけむりによって現れた、香港のアラジンは、病める花嫁をオートバイに乗せて拉し去る。バイクがトンネルをぬける直前、彼の口から洩れ出た煙草のけむりが、夜明けに聳えるビルディングへ消えていく。
( ちなみに映画の冒頭もミシェル・リーの煙草で幕が開いている。この映画は煙草に捧げられた鎮魂歌でもある ) 。
私はそこに、「若さ」の特権をみる思いだった。
それはスピードと喪われた存在への虚しい凱歌である。