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拳銃を売る男のmingoのレビュー・感想・評価

拳銃を売る男(1953年製作の映画)
4.0
真夜中の波止場。松竹で日本公開あり。亡命最初の映画。ハリウッドにて緑色の髪の少年でデビュー。1951年に3本、M、ジョンバリューモアジュニアの大いなる夜を撮る、不審者。不審者大ヒットで注目される。ジョンウェイン主演の映画を撮る話もあった。編集の最中にイタリアで撮らないかと話が来た。4番の中の2番目ルイススチュアート。西側と東側アメリカとソビエト資本と共産、ジョゼフマッカーシーによる赤狩り。共産党員ばかりではなくハリウッドをターゲットにして取り締まる。チャップリンとか監獄に送られた。シートナウていうドキュメンタリーが撮られた、グッドナイトグッドラック。1番目の奥さん左翼系の新聞PMの記者。NYの演劇界は左翼的。ドアシャリーていうプロデューサーが7年の専属契約でRKOに呼んだ。ハワードヒューズがRKOを買収。そこにロージーが入った。私は共産主義者と結婚した!ていう企画をオファーされて断った。断ったら赤だ!追放された。ニコラスレイも振られたけど、罠だよって教えたらしい。7年間飼い殺ししてやる。シャリーに解除されてハリウッドでおわった。イタリアに亡命。ジョンローリングとロージーは愛人だった。亡命できないベン・バーズマンの脚本が帰れなかった。死刑台のエレベーターとかのノエルカレフによる。イタリアのトスカーナ。トラブルだらけで86日間まで撮影が延長。ファシストが資金源。ブラックリストに乗ってるコミニストがいる。大げんか。世にも奇妙な状態で撮られた。ほとんど英語が喋れなかった。ヴェンダース撮影監督アンリアルカンとの出会い。鱒とか雪崩とも組んでいる。カメラオペレータを通してコミュニケーションを図る。アメリカ人は車飛ばすもんだろてぶっ飛ばしたり。セット立てたけどカメラ置く場所がない。ロージーは神経質だが監督として最高に優れてる。悪いところをことごとく上げていく。問題点は自分の責任だと伝える素晴らしい監督。100分版は現存していない。イタリア1952年5月に公開、その後アメリカで53年11月に公開。うろつくよそ者として公開。ロージーの名前はアンドレアノフォルツーネ。ロージーと父親には複雑な関係があり、ネオリアリズモ的な映画はこれしかない。ジョゼッペサンティスと一緒に映画を撮ってたかもしれない。ヴィスコンティとは嫌いあった。
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