きねぼっち

女性上位時代のきねぼっちのネタバレレビュー・内容・結末

女性上位時代(1968年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

カトリーヌ・スパークが男を踏みにじっていたり、ジャン=ルイ・トランティニャンに馬乗りになっていたりするヴィジュアルや題名から想起する内容とは、ちょっと違っていた。

カトリーヌ・スパークとジャン=ルイ・トランティニャンの行為は、フェムドムSMプレイではなく、単なる「お馬さんゴッコ」。

結局、カトリーヌ・スパーク演ずる若き未亡人は、奔放なセックス・オデッセイを経ながらも、男性との関係においては童女でしかなかった、というわけである。
本作は未亡人がセックス以外で自分を受け入れてくれる真の伴侶を得るための心の旅路なのでした。

未亡人は、急逝した夫のセックス・シェルターともいうべき秘密の邸宅にて、自分の親友も交えたSMセックス・プレイを見てしまい、セックス・ショックを受ける。

彼女は夫を愛してはいないが、夫も彼女を愛してはいなかった。
その事実が、彼女に自分自身の価値を疑わせる。

夫にすら愛されない妻とは一体何なのか?
そんな自分には人としての魅力はあるのだろうか?

主人公が果敢なセックス・アドベンチャーへと身を投じるのは、それが理由である。
だからこそ、夫のみっともないお手製のセックス・フィルムを見ながら、「自分にやればよかったのに」と悔しさで涙ぐむのである。

そんなわけで、未亡人の華麗なるセックス的な旅はことごとく空振りに終わる。
彼女がもとめているのはセックス的な快楽ではなく、自分の価値を認めてくれる男だから。

にしても、未亡人の人生は詳しくは語られないが、なんとなくわかるようにはなっている。
多分貴族で、父親は早世、母の言うことをよく聞く聡明な良い子、そして貞淑な妻・・・60年代の今となっては古風な女性観のままに、大した葛藤もなく役割を演じつつ流されて生きてきた感じ。
夫が死に、自分に役割を強制する人間がいなくなって、彼女は自我に目覚めたばかりの赤子ともいえる。

「男との交流=セックス」と思い込んでいるゆえに、華々しいが空疎なセックス・ジャーニーとなったわけだが、再婚への決め手となったのは、セックス的な奥義に精通した男性のSMセックス・テクニックであるスパンキングではなく、包容力があるピュアな医者が敢行した「おしりペンペン」!

医者は未亡人のこじれてしまった男性観や自意識を、彼女の夫が遺したセックス・シェルターを破壊することで、旧世代の負の遺産から彼女を解放するのである。

役割から解き放たれることは、よりどころを失うことでもある。
そんな不安に涙する彼女に繰り出された「おしりペンペン」は、もう君は一人の自由な人間なのだから、しっかりしなさい、と言う激励でもある。

にしても、妙に長い騎乗シーンではあるが、長身で手足の長いカトリーヌ・スパークが非常に映えてて良い!
ジャン=ルイ・トランティニャンの笑顔も素晴らしい!

余談です。

監督は「SEX発電」も作ったそうだが、その時の主人公は、本作で未亡人とデキてしまう弁護士役。
シャワールームでカトリーヌ・スパークに襲われるテニス講師は、「黄金の七人」の教授。
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