このレビューはネタバレを含みます
ヘンリー卿の快楽主義者としての言葉は、確かに魅惑的なものが多いんだよな。
「若いうちに欲望のままに生きるべきだ」
美しいうちに得ることのできる快楽を求めなさいという主張はどこか納得できるし、甘美でもあるよね。
そして、ドリアン・グレイはとにかく弱い。
失われていくであろう美しさとも、自らが犯した罪とも向き合わず、ヘンリー卿の唆しもあってひたすら享楽へと逃げる。
肖像画には、本来向き合わなければいけなかった罪と老いとが加わっていくのだけど、これがある種ギャグすれすれの負の芸術と言った形で、なかなか不気味だった。
「本当にバジルの作品か?」と。
バジルのサインの下を擦ったら「MAN GA TARO」のサインが出てくるんじゃないかと。
絵画のあまりにも醜悪な姿が、スクリーンには映らない18年分の悪事を想像させるのが凄い。
何はともあれ、肖像画に積み重なった「罪」は、本来持っていたはずの良心が形を変えたものなんじゃないかと考えると、哀しみも浮かびます。
この作品は、原題からして、ドリアン・グレイそのものよりも「肖像」の方に重きが置かれているとも考えることができますよね。
「失われていく若さ」の対になるもの。
永遠に刹那な美しさを残すことができるものこそが絵画です。
特に絵画には想像力を働かせる奥行きがある分、写真では感じることのできない美しさも伴います。
人間は誰しも老いていくものなので、本来は自然な老いの中に美しさを見出していくべきなのですが、芸術作品では現実とは違った美しさを追求できる。
衝撃のラストシーンは、ドリアン・グレイと肖像画が本来あるべき姿に戻ったのでしょう。
不徳なことを繰り返したドリアンは本来の美しさの欠片もなくなり、肖像画は美しく輝く。
オスカー・ワイルドの芸術への向き合い方も垣間見える作品だったように思います。