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セデック・バレ 第二部 虹の橋のnのレビュー・感想・評価

4.1
なんで私という奴はこの題材の映画を観て「タイモ・ワリスがかっこよかった」しか覚えてないわけ?アホなの?と数年前の自分に憤りながら第二部を再生したが、特典映像まで観るとそれはある意味で監督の術中にはまった結果だったのだということがわかる。セデック族でありながら霧社事件において日本側に立ち、蜂起した集落を襲撃した所謂「味方蕃」を率いたタイモ・ワリスは従来単純な悪役として描かれてきたが、本作ではキャスティングなどによってその一面的なイメージを覆したかった…とのこと。はい、お見事です…。(ちなみにタイモ・ワリス役の馬志翔は霧社事件を描いた2003年のドラマ『風中緋櫻』で花岡一郎を演じていたらしい)
安藤政信演じる小島源治は「良い日本人」の役どころだったとおぼろげに記憶していたが、改めて観てみると劇中でも最低レベルに卑怯で残酷な人間(しかもその自覚も薄そう)であった。そして、実際に自分が入植地に住むことになったら小島と同じように勘違いして“優しい本国人”として立ち回るだろうことが容易に想像できるのでそれにもまたぞっとさせられる。
しかし最後の陸軍少将・鎌田(河原さぶ)のクソ寒い台詞はまじで要らない、というか鎌田は全体的にかっこよく描かれすぎであると思う。何お前モーナ・ルダオの好敵手みたいなツラして出てきとんねん。片腹痛いわ。

日本人による苛烈な暴力を受け、部族の掟(ガヤ)に従って下されたと思われるセデック族の人々の決断には現代の価値観では受け入れがたいものも多く、観客としても激しく混乱し動揺するが、少なくとも、当時もセデック族にも日本側にも様々な立場の人がおり、当然ながら誰もが心底納得して自分の運命を決められたわけではないことは映画からも感じ取れる(例えば、セデック族の女性たちはモーナ・ルダオの蜂起に賛成していなかった、というかそもそも意思決定の埒外に置かれていたという描き方をされている)。事件について、この映画について何を考えるにしても、日本の侵略と支配さえなければこのような事態にはならなかったのだという点をまず念頭に置かなければならないと思う。

原住民の「素人演員」の皆さんは第二部でも素晴らしく、それぞれの役どころにぴたりとはまる個性が光っていた(長老勢はもちろん、タダオ・モーナ、サプ、ピホ・サッポなど若者チームもかなり良い味を出している)。中でもバワン・ナウイを演じた林源傑くんの演技は金馬獎で新人俳優賞にもノミネートされただけあって本当に天才的である。撮影当時13~14歳だったようだけど、その後は俳優活動はしていないのかな。
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