茶一郎

欲望の翼の茶一郎のレビュー・感想・評価

欲望の翼(1990年製作の映画)
4.1
 「3時前の1分間、君は僕といた。この1分間を忘れない。」
 「彼は毎日来て、1分間の友達から2分の友達へ、そして1時間の友達になった。」
 冒頭から、こんな二人の男女のセリフから始まる。1分間の友達は、夢の世界でしか会うことができないと言う。ウォン・カーウァイ(王家衛)の映画世界における運命の男女は、「1分間」という短い時間の間しか繋がることができない「1分間の友達」である。
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 実母に捨てられ、養母の元、愛の欠如した人生を送ってきたヨディ(レスリー・チャン)の青春の終わりを描く。香港のイギリス植民地時代、「移民の国:香港」での、主人公のアイデンティティ探しの旅。欲望のまま飛んでいた青年は、もしかして最初から死んでいたのか。今作は、青年ヨディの「記憶」を引き延ばした。
 ヨディとその周りの5人の視点、時間が複雑に入り組んだ、1960年代の香港を舞台とする青春群像劇。

 60年代の香港を、王家衛監督は「最も個人的な時代」と言い、今作『欲望の翼』を監督自身の視点が反映された「個人的な作品」としている。「時」を表す「時計」や、「心」を表す「鏡」、「距離」を表す「電話」など、後の監督作に繋がる小道具が出現、またダイアログよりモノローグが重要視されるストーリーテリングのスタイルは今作で確立された。最も、今作は、撮影監督のクリストファー・ドイル、美術のウィリアム・チョン、後の黄金コンビが初めて結成された作品でもあり、あらゆる意味で監督の原点とも言える作品。

 交差する複雑な時間軸は、もはや王家衛作品のお決まりだが、そうは言っても、全編がとても奇妙な構成。男女、女女、男男、それぞれの章ごとに登場人物がバトンタッチして、二人だけの世界を形成していく。それぞれの章(別に章が設定されている訳ではないが)ごとで、ストーリーが完結するものもあり、まるでドラマの数話が集まったような作品だと思った。
 思えば監督デビュー作の『いますぐ抱きしめたい』も、主人公とヒロイン、主人公とその弟分、ヒロインと弟分が決して交わらない、二つの二人の世界を描いた作品だった。「二人だけの世界」、王家衛は一貫して「1分間の友達」の邂逅と別離を描く作家なのである。

 また、映画もラスト、最後に突然現れるトニー・レオンなど、何とも贅沢なトニー・レオンの使い方。元より今作『欲望の天使』は、前編・後編の二部作だったが、後編が作られなかったため、このようなブツ切りになっている。(元々、三部の『恋する惑星』が二部になったりと、王家衛作品ではよくありますね)ちなみに、後の『花様年華』は今作のパラレル的続編という位置付けになっている。

 王家衛監督と言えば、サンプリング時代以降、特に90年代を代表するDJ感覚の監督、そして、同年代に同じ特徴のクエンティン・タランティーノ監督がいる。タランティーノの大出世作は言わずもがな、複雑な群像劇の『パルプ・フィクション』だが、とても興味深いことにアメリカから遠く離れたアジアで、王家衛監督は『パルプ・フィクション』よりもっと複雑な偶像劇『欲望の翼』を作っていた。(『欲望の翼』は興行的に失敗したが)天才とは奇妙な点で、共鳴するものだなァと思う。
茶一郎

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