レインウォッチャー

湖のランスロのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

湖のランスロ(1974年製作の映画)
4.0
『アーサー王と円卓の騎士』の中世を舞台に、「騎士道」の終焉を描く作品。
騎士団の中でも最強の誉れ高い男・ランスロは、聖杯探求の遠征から帰還する。しかし旅は成果を上げられず、多くの犠牲を払っただけに終わった。彼は旅の失敗を王妃グニエーヴルとの不貞による罪と結び付け、悩む。

今年(2022年)はタイムリーなことにA24/デヴィッド・ロウリーの『グリーン・ナイト』という映画もあり、あれもまたガウェインというキャラクターを捉えなおすことによって「騎士道」すなわち「男の世界」の虚しさや崩壊を現代にも通じる形で浮き彫りにした作品だった。(※1)
今作の起源は1974年までさかのぼるが、既に『グリーン~』とごく近い鋭利な筆致を備えていたのは驚きで、円環性を感じる。ちなみにガウェインは今作にも登場し、分裂が進行する騎士団においてランスロ派として彼の勇壮さに憧れ支えようとする若き男として描かれている。(ただし表記は仏語読みのゴーヴァン。)

遠征による疲弊がランスロに対する不信に転嫁され、あれよあれよと騎士団の調和が崩れていくのだけれど、真の中心は王妃の存在だろう。劇中でも「唯一の女性でわれらの太陽」などと表されているけれど、それは映画全体にとっても当てはまる。
王の「今こそ友愛、信頼を」との命もむなしく周りの雄たちが迷い、疑い、潰しあう中で、王妃は物理的にも精神的にも置き去りにされる。彼女はランスロと王の間を行き来させられるが、もはやその姿はトロフィーワイフとすら呼べず「仕組み」の中の一事象として組み込まれてしまったようで、ひたすら孤立しているのだ。

現代ではわれらが濱口竜介監督にも通ずるイタリア式本読み(ニュアンスを抜いて台本を読む)に根ざすものと思われる特異な演出が、違和感を増長させる。いわゆる時代劇という厳めしい舞台設定において、その奇妙な緊張は滑稽さすら臭わせつつギリギリ成立する地点で、やはり彼らが信じ築いてきたパワーとプライドの世界の虚構性を強調するのだ。

そして、トドメを指すのは音響の企みだ。
冒頭近く、ある村人の老婆が口にする「足音が先に聞こえた者は近く死ぬ」というジンクスによって、映画は常に死の予感で支配される。その後、シーンの繋ぎごとに迫る足音や騎馬の蹄の音がシンコペーション的に被さってきて、観る者を異様におびやかす。
また、劇中では男たちが身を包む甲冑の耳障りな金属音が矢鱈としょっちゅう響き続けて、まるでナワバリの主張行動のように見えてきたりもするのだけれど、終盤においてはついに森を埋めつくす「静けさ」が訪れる時が来る。もう歩く者も話す者もいなくなった、そのおそろしさ、凄み…

奇怪で、しかしここにしかない美しさが確かにある異能の映画だった。わたしはロベール・ブレッソン初体験となったのだけれど、長らく日本未公開だった今作、『グリーン・ナイト』とのめぐりあわせも含めてこのタイミングで観られたことを幸運に思いたい。

-----

※1:拙筆ありマス
https://filmarks.com/movies/86030/reviews/144867770