むっしゅたいやき

歴史の授業のむっしゅたいやきのレビュー・感想・評価

歴史の授業(1972年製作の映画)
3.8
ローマ帝国の転換期と資本主義の相関。
ジャン=マリー・ストローブ&ダニエル・ユイレ。
正直に言って、鑑賞後暫く経った今でも理解には程遠い作品である。

本作は現代の若者が、民主制から独裁を経、帝政へと移行する過渡期のローマ帝国を生きた人々へインタビューを行う、と言った形式を採る。
つまり、カエサルの事蹟を辿りながら、彼の覇権に多いに寄与した経済活動の実態を聞き取ると云う体である。
インタビューを受けるのは、カエサルと親交のあった銀行家やガリアへの出征に同伴した元兵士、元老院の詩人であり、彼等の口から聴く当時の実情はとても興味深い。

私を困惑させているのは本作に収められている、車で走行するパートである。
これは全部で三回、各々10分程度も挿入されており、インタビュアーの青年が一人、雑然としたローマ市街を走行する。
此処では劇伴も無く、環境音のみとなるのだが、未だに私にはこのパートの意義が理解出来ない。
『ドライブは過去を遡る行為(距離=時間?)を示しており、路傍の違法駐車や路上で遊ぶ子供達、行き交う人々は、其の儘現代から過去へ、ローマから影響を受けた人々を指す』などと、もっともらしい言葉を発してみても牽強付会の感は否めないし、そもそも此処まで尺も不要であろう。
この監督である為、無意味な筈もあるまいと思うが…、碩学の意見を聞きたいものである。

カエサルもそうであるが戦争は、領地を獲得する事がその目的では無く、自国民からも搾取する事を目的とする。
本作から得られる最大の教訓は恐らくこの言葉であり、此れは現代の紛争にも通底していよう。
“商売を誰が止められる?”と嘯き、ラストに於いては“たっぷり儲けたよ”と哄笑する銀行家(=資本家)を見る時、現代の我々も為政者の活動を、資本家の主張を、再度注視せねばならないと感じるのである。
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