あおは

バックマン家の人々のあおはのネタバレレビュー・内容・結末

バックマン家の人々(1989年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

鑑賞してから感想を書くのに2週間以上経過してしまった。
観たときのメモが残っていたし印象に残っているシーンもあるけれど、やはり1週間以内には感想を書きたい。

この映画を観てはじめに思ったのは、乾いた映像の感じがすごく好きだということ。
きっと自分の好きな空気感というか雰囲気の映像をしていて、だからただ観ているだけで幸福感や没入感が生まれた。映像の質や世界のあり方が好きな映画はそれだけで楽しめるし、感情が盛り上がるなと感じる。
カメラの勉強もしたいなあ。

お話は題名のとおりバックマン家の人々のそれぞれの家庭が抱える問題を中心に進んでいく。
出てくる家庭は主に4つ。
1つは、息子を精神不安定とジャッジされたギルの家族。
2つは、離婚し男親がおらず娘と息子に手を焼くヘレンの家族。
3つは、英才教育を施そうとする夫と妻との間で価値観が合わないカレンの家族。
4つは、まるで息子に関心がないラリーの家族。
多くの人がこの4つの家族のうちのどこかに少なくとも当てはまる要素を見つけられるのではないかなと思った。
世間に子どもを異質とジャッジされたり、片親がいなかったり、親子でぶつかってばかりだったり、夫婦で教育に対する価値観が合わなかったり、親が無責任だったり。
そんな家族の日常が色々な出来事によって揺れ動いていく。
そもそもの“家族”というものの難しさが描かれていき、しかし最後はそういうことを味わっていくのが家族でそれもいいよねと微笑ませてくれるような人間賛歌の詩のように感じた。

おばあちゃんがローラーコースターの話をしてからの最後の展開。
ギルの家族が娘の遊戯会をみにいったときに、末っ子が劇に乱入してしまう。笑う人もいたり怒る人もいたりと反応は様々で、この瞬間にもギルのなかには色々な感情が、まるでローラーコースターのように起こるのが分かる。
怒りやどうしたらいいんだという混乱、もうどうにでもなれという諦め、そしてこれも家族という受け入れ。
ギルが涙するシーンは彼が懸命に家族と向き合ってきた親だったからこそ込み上げてくるものがあった。
そして最後の出産をバックマン家の人々全員で喜ぶシーンは本当に強く心を動かされた。
みんなの笑顔、表情。大変なこともあって頭を悩ませてまいってしまうこともあるけれど、そういう喜びもあるからやっぱり家族っていいよねと思わせてくれる。
この映画、好きです。

「僕もパパの会社に勤める。昼間も一緒にいられる」
というギルの息子のセリフ。
息子の誕生日会でバルーンアートの大道芸人が来ないと分かったあとの対応で子どもたちの心を掴み誕生日会を成功に終わらせたギル。息子から言われてこれほど嬉しい言葉もなかなかないのではないのかなと心が温かくなった。
それでも子どもというのは難しいもので、誕生日会でバルーンアートの人が来ると友だちに期待され、友だちにいじめられることを恐れている息子の要望に何とかギルが応えられたから上手くいったけれど、親の問題ではなく子どもが1人で向き合わなければならないこともあり、野球で失敗したときにはチームメイトから責められている。
失敗して責められたりプレッシャーをかけられたりするなかで、子どもが自分自身を嫌いにならないように育てていくのも親の役目としてとても大切なことだなと感じた。

ひとつ自分が感じたマイナス面をあがるとすれば、途中の家族の悩みを描写していくところが少し長く感じ、飽きてはいないけれど映画の没入感が薄まるような感じはあった。あそこで退屈に感じる人ももしかしたらいるのかなと思った。

若かりし日のキアヌとホアキンが観られて、それも感動しました。
あおは

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