シナリオにスチュアート・ゴードンとラリー・コーエンがいて監督がアベル・フェラーラ。このメンツでニューヨークが舞台ではないのは残念だけど、田舎の軍事基地でエイリアンの入れ替わりものは、盆と正月がいっぺんに来たような夢の組み合わせ。85分程度。いまならTVシリーズの一話ぐらいのボリューム。盛らない美学、「映画」のヤり逃げ感がフェラーラはよく分かっている。
珍しく娯楽に振り切っているが、光の当て方が死人のようで、感情が沸き立たない、その冷めた暗さはフェラーラ。肉体を乗っ取る行為がグロテスクよりエロティックに見えるのも独特。ラストの雑な破壊も、家族を失った少女の復讐のようにも映るが、それがこれからの希望へと繋がるわけでもなく、生き残ったとしても「魂は救われない」のが正しくフェラーラ映画。
立ち位置も豹変ぶりもメグ・ティリーがほんと最高。世紀末では誰もが等しく生きたり死んだりするべきで、ガキがきちんと殺される映画は立派。あと、『ボーはおそれている』の浴槽の上から人が落ちてくるくだりは、これからパクっただろアリ・アスター。