矢吹

風の中の牝鷄の矢吹のレビュー・感想・評価

風の中の牝鷄(1948年製作の映画)
3.8
たしかにこの後の小津が、戦争を描くことをやめたと言われてしまう意味もわかるぐらいに、
その作品群と比べて、描かれる景色がまるで違う。
人は守るために何かを失わなければならなかった時。
なんとも責められようもない一個人の選択の悲劇について。
もう忘れよう、これからは何もなかったものとして生きていくんだ。という、これしかない最後の、最後の手段を取らざるを得ない姿。
戦前と戦後がある。こういう時代を超えてきたということは、絶対に忘れちゃダメですね。

特に建設途中の謎の巨大な建物が不気味でヤバい。
おそらく、急拵えで修復されたか建てられたか、焼け残ったかの家屋に暮らす人々の精一杯の感情との対になりすぎる無機質。
未来にむける目の置き所の覚束なさ。というか。

そりゃ、全てが焼け野原となった後なのだから、本当に、今、戦後の復興の跡、すごいな。
本当に月並みどころか、日並み、時並みの、今更すぎる感想だけど、まじで、その一分一秒を刻んできた、全ての人たちに、すげえなって、今の日本の形を見たら、思っちゃうよ。

時代としては、仁義なきの冒頭と相違ないわけだもんで、田中絹代さんの持つ、風ですぐ吹き飛ばされそうなほど美しいからこそ、儚げでありつつも根っこにもつ力強さ。が故の切なさ。
許すために、その目で確認しないと割り切れない、佐野さんの、旦那の気持ちも痛いほどわかる、あの移動。
他人の悲しみに対して優しくなれるために、悲しみを経験する必要なんてものはないのだけれど、1人で全部なんて無理なんだから、せめて共有できる手の届く1人にでも差し伸べ続けてその連鎖をこそ、また、一つ一つの立ち直りでもあるわけです。目に見える景色だけじゃなくて。
おせっかいでいいじゃないの。
話すことがまず大切だと思うし。
夫婦でも、誰でも、支え合えばさ。っつーね。
別に全然悲観的な作品じゃないです。と思います。めちゃくちゃみんなそれぞれの場所でよっぽど生きてる。

ショットはやはり、である。
ローアングルですか。響かしい。

ライフ紙だったのにちょっとテンション上がった。一旦上がってる場合でいいでしょ。
矢吹

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