ベイビー

不安は魂を食いつくす/不安と魂のベイビーのレビュー・感想・評価

4.5
本当に素晴らしい作品でした。

「不安は魂を食いつくす」

この作品タイトルとサムネに使わせているキービジュアルを見た時から、これは僕の好みの作品に違いないと興味を持ち始め、心を奪われたままずっと公開を待ち望んでいました。

「幸福が楽しいとは限らない」

いきなりこの字幕テロップから始まる物語。夫を亡くし、三人の子どもも立派に自立し、清掃婦をしながら独りで暮らしているエミ。そして仕事を求めモロッコからこの地へ流れ着いたアリ。二人はとある酒場で出会い「黒いジプシー」という曲で踊ったことをきっかけに惹かれ合い、愛し合って行きます。

20歳ほど年が離れ、人種も異なる二人の愛。

この物語は「不安は魂を食いつくす」というタイトルと「幸福が楽しいとは限らない」という言葉が両輪となって、二人が進む険しい愛の道のりを導きます。二人が幸福を感じれば感じるほど、周りから冷ややかな視線が向けられ、見ていて悲しくなるくらい二人の愛は周りから祝福されず、エミの三人の子どもたちも絶縁を求めるほどの怒りを表していました。

正直なところ、これほどまで周りの人たちは移民を嫌悪するかものかと疑問に思ったりもしたのですが、そう言えば、昔読んだ「MASTERキートン」のエピソードの中に「昔から多くのトルコ系ジプシーがドイツに永住するようになり、彼らがこの地で仕事をするため、地元の人々の失業率が増え、それ故右翼派の人たちの間で移民に対する強い逆恨みが根付いている」という内容があったことを思い出しました。

併せて本作ではミュンヘンオリンピックでのテロのことも示唆していましたし、戦争当時は地元のほとんどの人間がナチス党員だったとエミも言っていましたので、その話の中で自然とホロコーストの歴史も頭によぎります。

それを考えると、題名にある“不安”とは、エミとアリが自分たちを見る周囲の視線や反応への恐れを示しているのはもちろんですが、周囲の人々の感情にも触れていて、自分の生活が何者かに脅かされる世の中を恐れ、日々不安を抱いているという世情も表しているのではないでしょうか。

原題は「恐れは魂を蝕む」

その不安や恐れが魂を蝕み、その蝕まれた魂が根拠のない偏見を生み、その偏見がテロやホロコーストなどの引き金となり、また不安や恐れを生み出す悪循環を作ることとなります。この作品で言えば、あの心ない人々の醜い言動や冷たい視線こそ、魂を蝕まれた人の姿に見えてきます。

それを踏まえれば、やはりこの作品の主題は人々が抱く“不安”や“恐れ”ということになります。エミとアリの愛の行方を描くと同時に、人々が抱く“不安”や“恐れ”のメカニズムをしっかりと描き、その“恐れ”から魂を救う方法までしっかり描いているのですから、物語として文句の付けようがありません。

“不安”や“恐れ”から救い出してくれるもの。それはやはり“愛”でした。自分が確かだと思える愛があり、その愛を信じる力があったからこそ、エミやアリは周りからの偏見にも悪意にも耐えることができたのだと思います。

しかし、唯一の救いであった愛に翳りが見え始め、相手を見失いそうになったとき、一体なにが不安や恐れから魂を救ってくれるのでしょうか…

その答えを導くようなラストのダンスは最高でした。そして最後の締めくくりも、タイトルをしっかり回収されていて、そしてあの余韻を残すカット… もう完璧です。

あと映像も良いですよね。画角がどれも綺麗に収まっていて、映像からも不安と喜びのコントラストが明確に伝わってきました。特にキービジュアルにも使われている、開かれたドアの縁をフレームに見立てたような構図はどの場面も印象深く感じられました。そのフレーム越しに二人(あるいはアリ一人)を覗くと、非常に狭まれた心の内側を見ているような不安な感情が押し寄せて来るようです。

あと、ついでにこのシーンのことを言わせてもらうと、このシーンは、二人が普段入らないようなレストランに少し背伸びをして入店し、聞いたことも見たこともないメニューを注文するという一コマなのですが、そういったちょっぴり冒険した時の不安と心配。そして少し見下されているようなウエイターの冷ややかな視線。こういった日常に於いて細やかな不安を感じたことは、誰もが少なからず経験があるのではないでしょうか。

こうして“不安”や“恐れ”という題材を日常のあるあるに落とし込む事により、主題が身近にあるものとして感じられると思うのです。テロとかホロコーストとか社会的、国際的な“恐れ”を示唆しながらも、身近にある日常の“不安”や“恐れ”を描くことにより、より主題の解像度がクリアになり、二人の心情もより鮮明に感じられるのです。

やはりタイトルから直感したように、僕の好きな作品となりました。ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督のことは何も存じておらず、初めて作品を観させていただいたのですが、とても興味深く他の作品も観たくなりました。

人を信じる力と愛の力強さを感じさせてくれる傑作。

本当に素晴らしい作品でした。
ベイビー

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